権力者を批判できなければ、報道機関としての価値がないのはナゼか?

ゴシップ報道に熱心なマス「ゴミ」

日本の報道機関は、自分たちの社会的使命が何なのか、分かっていないのではないか?

以前、バドミントンで世界的な実力を持つ選手が、違法な賭博行為をしていた件で重い処分を受けた。

オリンピック出場が取りやめになっただけでなく、登録抹消、所属する会社を解雇されたりと、かなり厳しいものだった。

顔や実名をさらして涙の謝罪記者会見したのは、まだ20代の若者だ。

まるで殺人事件でも起こしたかのような扱いであった。

確かに違法行為は悪いことだし、著名人であるが故、一般人よりも多少厳しい社会的制裁は避けられないかもしれない。

しかし、大手メディアがこぞって朝から晩まで、しかも多くの日数をかけて大騒ぎすべき事案だろうか?

せいぜい新聞3面のベタ記事扱いで十分ではないか?

元プロ野球選手の清原和博氏は、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された。

タレントのベッキーは不倫が原因で謝罪会見を行い、仕事をすべて失った(相手の男はほぼ無傷である)。

「五体不満足」の著者として有名な乙武氏も複数の女性と不倫をしたことで非難され、自民党は参議院選で担ぎ上げるのをあきらめた。

スポーツ選手、芸能人、タレント・・・。

みんな著名人だが、公的な権力は持っていない。

違法賭博や薬物使用は責められるべきだが、報道機関の集団リンチは明らかに行き過ぎである。

不倫に至っては個人的な問題であり、警察が扱う案件ですらない。

非力な個人を叩く方がマスコミにとっては楽だしリスクが少ないし、それが著名人であれば視聴率や部数を稼ぎやすいだろう。

マスコミのことをマス「ゴミ」と呼んでいる人がいるが、言い得て妙である。

肝心な仕事(権力批判)をほったらかしてゴシップ報道に奔走し、国民に必要な情報を提供できないならば社会的存在価値はない。

報道機関の社会的使命は権力の監視である

写真(ジョージ・オーウェルの名言) 出典:不明

写真(ジョージ・オーウェルの名言) 出典:不明

言うまでもなく、報道機関の社会的使命は権力の監視である。

権力者が隠しておきたいこと調査・分析し、批判報道することが仕事なのである。

ジャーナリストとは本来、命を狙われる危険がある職業なのだ。

大手のテレビ局や新聞社において、このような原理原則を胸に刻んでいる者が、どの位いるのだろうか?

下写真のような記者は例外であろう。

写真(東京新聞の望月記者) 出典:TBS

権力の広報に堕しているメディア

新聞記者は社会の木鐸などと言われていた時代もあったが、今は、権力に対して従順な偏差値秀才のみが入社を許されているのが実情である。

報道機関の経営幹部自ら、安倍官邸の恫喝に易々と屈し、懐柔を許し、自己検閲に励んでいる。

安倍総理とマスコミ幹部の会食一覧 出典:赤旗

安倍総理とマスコミ幹部の会食一覧 出典:赤旗

写真(安倍首相とマスコミ幹部の会食) 出典:朝日新聞+麦は踏まれて強くなる

汚職問題で限りなく黒に近い甘利元大臣は記者会見を行った後、雲隠れ状態で、長らく国会にも姿を現さなかった。

それなのに報道機関は批判をするどころか、「現代の武士」だと称賛し、本人はいまだに国会議員を辞職していない。

検察は安倍政権やアメリカの御機嫌をうかがい、甘利議員の逮捕はおろか、まともな捜査もしていない。

これでは証拠隠滅し放題だ。

マスゴミの援護射撃も受け、甘利議員は涙を流して喜んだことだろう。

写真(記者会見する甘利大臣) 出典:ロイター

「自民党は毎日がエイプリルフールだ!」と山本太郎議員に揶揄されたが、国民生活を脅かす数々の悪質なウソを追及する姿勢が報道機関にはほとんど見られない。

特に、大手マスコミは最悪だ。

「権力側にとって気に入らない報道をした放送局は停波処分にする」と高市早苗総務大臣が暴言を吐いても、抗議をしているジャーナリストはごく少数だ。

明らかな職務怠慢である。

民主主義国としてあるまじき異常事態と言わざるを得ない。

政府の広報化はメディアの自殺行為

権力者におもねっていた方が精神的に楽だし、報道機関内部で待遇も良くなり、おいしい生活を維持できることは確かだ。

野党である民進党の山尾政務調査会長については、政治資金収支報告書問題の追及を熱心に行っていたが、それより金額が大きい安倍総理を非難することはなかった。

安倍総理の追及を最優先で行うのが当然なのに、やらない。

なぜか?

ジャーナリストとしての使命を忘れているからである。

保守派の論客である小林よしのり氏にすら「報道番組が死ぬほどつまらなくなってしまった」と嘆かれる始末だ。

結果として、新聞の部数が激減し、テレビの視聴率が下がっている。

おまけに、国際的な評価である「報道の自由度ランキング」も下がる一方だ。

図(日本の報道の自由度ランキング推移:2017年) 出典:データを基に筆者が作成

報道機関は、国民の知る権利に応えよ

もう一度繰り返すが、報道機関やジャーナリストの社会的使命は、権力の監視である。

権力者の言い分をそのまま垂れ流すだけならば、政府の広報活動をしているに過ぎない。

権力者を監視し批判する報道こそが公平で公正なのであり、放送法の趣旨もそこにある。

国民の関心が権力者の悪事に向かないように、スポーツ選手や芸能人のスキャンダルを大量に垂れ流すのは偏向報道であり、非難に値する。

下記一覧表は、筆者が作成した参考資料である。

選挙の時に国民が正しい判断をするための情報を提供できていないことが理解できるであろう。

知るべきことと報道内容の落差-2

以上

コメント

  1. 古田二三子 より:

    日本の現状に危機感を感じ、数年前よりFBを通し社会や政治の在り方について発信しています。民主主義社会の中でマスコミの果たす役割は大きく、健全な社会を作るためには不可欠な存在と思うのですが、日本のマスコミ、マスメディアは政権に協力して世論誘導をしているとしか思えません。日本に健全な民主主義を育てていく為に、私たちは何をしていくべきか共に考えていきたいと思います。

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