2017年9月3日付の朝日新聞に興味深い記事が載っていた。英国の研究チームが、世界の14万人へのアンケートを分析した論文を、米科学アカデミー紀要に発表したのだが、「人生を自分でどれだけコントロールできているか」を自己評価した点数が低い人ほど、独裁的な政治家を支持しがちになるという。
ますます社会が劣化し暮らし難くなっているというのに、安倍政権が長期間存続する理由が見えてくるのではないか?日本社会は、周囲の空気ばかりを読んで、自分の頭で考えず、自分の考えを述べない人間であふれている。
惰性に流される羊の集団は、自分に指示を与えてくれる「強い」指導者を渇望する。上からの指示がないと精神的な安定を保てないのだ。指導者が下品でも無教養でも構わない。他人の話に耳を傾けるリーダーなど望んでいない。上意下達で、専横で、独裁的であることを政治家に求める傾向が強い。たとえ国際的に評判が悪くても、石原慎太郎や橋下徹が根強い人気を誇っている所以だ。法律違反であっても、過労死が頻発しても、ブラック企業が「繁栄」し続ける原因も明らかだろう。
平たく言うと、奴隷根性である。日本人は民主主義制度の中で生きているが、自発的隷従という精神的病理を抱えている人間が多い。
フランス人のエティエンヌ・ド・ラ・ボエシが書いた「自発的隷従論」の中から、以下に引用する。
引用始め
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「仮に、二人が、三人が、あるいは四人が、一人を相手にして勝てなかったとして、それはおかしなことだが、まだ有りうることだろう。その場合は、気概が足りなかったからだと言うことができる。だが、百人が、千人が、一人の圧制者のなすがまま、じっと我慢しているような時、それは、彼らがその者の圧制に反抗する勇気がないのではなく、圧制に反抗することを望んでいないからだと言えまいか」
「これは(支配者に人々が隷従していること)、どれほど異様な悪徳だろうか。臆病と呼ばれるにも値せず、それふさわしい卑しい名がみあたらない悪徳、自然がそんなものを作った覚えはないと言い、ことばが名づけるのを拒むような悪徳とは。」
「信じられないことに、民衆は、隷従するやいなや、自由を余りにも突然に、あまりにも甚だしく忘却してしまうので、もはや再び目覚めてそれを取り戻すことができなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ、とさえ言いたくなるほどである。」
「先の人々(生まれながらにして首に軛を付けられている人々)は、自分たちはずっと隷従してきたし、父祖たちもまたその様に生きて来たという。彼らは、自分たちが悪を辛抱するように定められていると考えており、これまでの例によってその様に信じ込まされている。こうして彼らは、自らの手で、長い時間をかけて、自分たちに暴虐を働く者の支配を基礎づけているのである。」
「それにしても、なんと言うことか、自由を得るためにはただそれを欲しさえすればよいのに、その意志があるだけでよいのに、世の中には、それでもなお高くつきすぎると考える国民が存在するとは。」
「隷従する者達は、戦う勇気のみならず、他のあらゆる事柄においても活力を喪失し、心は卑屈で無気力になってしまっているので、偉業を成し遂げることなどさらさら出来ない。圧制者共はこのことをよく知っており、自分のしもべたちがこのような習性を身につけているのを目にするや、彼らをますます惰弱にするための助力を惜しまないのである。」
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引用終わり
奴隷根性とは、個人としての未熟さであり、主体性の喪失である。奴隷は自分の人生に責任を持てないひ弱な存在である。奴隷根性の習性を身に付けてしまった代償は大きい。自分自身の奴隷的な生き様を認めたくないがゆえに、主体的に自己主張する人間を排除し非難したがる。自分の人生を生きている人間に対する猛烈な嫉妬が無意識のうちに噴出するのだ。
自発的隷従に凝り固まっている人間にとって、民主主義は違和感でしかない。選挙権など猫に小判である。彼らが求めているのは元首様であり、独裁者だ。日本国憲法ではなく、戦前の明治憲法がピッタリくる。彼らは、国を率いる政治家に対して、歴史上の失敗を認める謙虚さ・愚直さを求めていない。自分たちが依存するリーダーは「強く」「美しく」なければならない。対話という概念を持たない傲慢な人格に惹かれて、易々と服従してしまう。
皆さんの周りでも、具体的な事例を確認できるのではないか?自発的隷従という精神的病理を抱えている人間が多い日本において、民主主義という面倒くさい手続きは定着しにくい。低い投票率(=政治的無関心)をみれば分かるだろう。民主主義の敵は独裁的な政治家ではなく、無意識のうちに独裁者を望んでいる自発的隷従者たちである。
以上