天皇の権威を利用する悪徳者:
上写真をご記憶の方も多いと思う。
2004年10月28日、秋の園遊会での一場面である。
当時、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄氏(61)が、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話した際、天皇陛下は、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べたのだ。
米長邦雄氏は、「もちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えている。
当時の東京都では、国旗掲揚・国歌斉唱の職務命令に従わない教員を大量に処分しており、東京都教育委員を務める米長邦雄氏は上から強制推進する立場にあった。
教員たちに対しては、思想信条の自由を認めない横柄な態度をとりながら、天皇に対してはペコペコするのを滑稽に感じた人も多かったのではないだろうか?
天皇を政治利用して国民を抑圧しようと企んでいる愚か者が、天皇自身からその行動を諫められたのである。
この場面は権力層にとって誠に都合が悪かったため、マスコミでの報道はこれ以降されていない。
日本人のロールモデルとしての天皇:
秋の園遊会には米長邦雄氏も含めて、たくさんの人が招待されている。
天皇を政治利用してやろうという不敬な人間だけでなく、純粋に人柄を尊敬し、遠くから少しだけでもお目にかかりたいという人も多かったに違いない。
実際に、あれだけの人格的オーラを発することができる人間に実社会でお目にかかることは難しいだろう。
被災者に寄り添う姿勢を含め、何十年にも及ぶ天皇としての職務を遂行する中で築き上げられた信頼感・安心感は揺るぎないと思う。
奴隷根性が染みつき主体性に欠ける日本国民にとって、天皇の存在は社会秩序を維持するための一機能を果たしている。
つまり、天皇を模範として、自分の行動や態度を決めている部分が大きいのだ。
本来は、国民一人一人の中に確固とした哲学・判断基準があればいいのだが、社会システムや教育制度の問題もあり、すぐに実現することは難しい。
象徴天皇制が抱える矛盾:
このように戦後の象徴天皇制はすっかり根付いている感があるが、実は様々な矛盾を内包している。
例えば、次のような問題が存在する。
・天皇は政治的な発言を封じられている。
・事実上、人権が認められていない。
・移動の自由が無い。
・天皇は公務を拒否することができない。
・憲法で天皇は世襲と定められているので、即位を拒むことができない。しかも男子限定。
・職業選択の自由がない。
・一度即位すると、自分の意思で退位できず、亡くなるまで天皇としての役割を全うすることが義務付けられている。
・特権階級として多額の税金が投入されている。
・その他
日本国憲法第14条には次のように書かれている。
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
すべての国民の中には天皇も含まれるというのが学説として有力である。
天皇も含めて国民は全員、人間として平等に扱われねばならないという原則と象徴天皇制は、明らかに矛盾しているのである。
天皇について規定されている憲法第1条~8条や皇室典範は、それ以外の憲法条文から独立しているかのようだ。
これは日本国憲法自体の矛盾を表わしており、いずれは改正されねばならないだろう。
象徴天皇制の在り方について議論すべき:
このような大きな矛盾・問題を抱えながらも、象徴天皇制は長年維持されてきた。
なぜ維持が可能だったのか?
歴代天皇が、ある意味理不尽な立場を甘受しつつ、公務に勤しんできたからである。
少なからぬ国民は矛盾に気づいていながら現実を直視しようとせず、長年に渡って問題を放置し続けてきたのだ。
国民的な精神的怠惰のしわ寄せを、天皇とその関係者が受忍してきたともいえる。
面倒くさいからといって、いつまで見て見ぬふりをしてはいけない。
天皇の生前退位問題は、遅かれ早かれ表面化する運命にあった。
しかもそれは、数多くの問題の一つに過ぎないのだ。
「高齢で健康上の問題もあるから、象徴としての役割や国事行為から降りたい」というメッセージを非難することができる人がいるのだろうか?
国民を支配し搾取するために天皇を政治利用してやろうという悪徳者でない限り、文句は言えないはずだ。
今後、象徴天皇制をどうすべきか、国民的な議論をする必要がある。
我々国民が天皇に精神的に依存せず自立心を持つためにも、そして、天皇の政治利用を拒否し、抑圧や搾取のない民主的な国家を作るためにも、面倒事からこれ以上逃げ回ることは許されまい。
議論の際に念頭に置かねばならないのは、当然、人間平等の原則である。
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