まずは、下記の新聞投稿を読んでみてください。先日、Facebookで見つけたものです。
「憲法9条改悪反対」「戦争へと進む集団的自衛権行使反対」という主張をされた投稿者は、とうとう仲間外れになってしまいました。この原因を考えてみたいと思います。
仮説1:他の仲間は日本国憲法に不満があり改憲したいと思っている。
自民党よりも反動的な次世代の党には、元東京都知事の石原慎太郎氏が在籍していました。彼は改憲論者の筆頭で、日本国憲法を憎んでいたようです。石原氏ほど極端な物言いをしなくても、改憲を支持している人はある一定の割合で日本に存在します。
改憲論者が「憲法9条改悪反対」というスローガンを見れば憤慨するでしょうね。しかし、改憲支持派と護憲派がグランドゴルフ仲間だ、というのはちょっと想像しにくいです。
仮説2:他の仲間は政治に全く興味が無い。
年代性別を問わず、政治的無関心層は日本の多数派だと考えて良いのではないでしょうか?実際、最近の国政選挙投票率は半分程度です。私の周りにも、政治関連の話を避ける人間が非常に多いです。
自分が無関心なだけならまだ良いのですが、他人が政治のことを話題にすると睨みつける者もいます。空気を必死に読んで、言いたいことも言わずに我慢して生きてきた人からみれば、自分の意見・信念・哲学を堂々と述べる人間は憎たらしく嫉妬の対象なのでしょう。社会に対して問題意識が無い人間、民主主義を理解できない人間、自発的隷従が心地良い人間が蔓延している社会は異常です。
政治の話をするのは特殊な奴だ、異常な人間だ、という考えを持っている人にとって、「憲法9条改悪反対」というスローガンは目障りでしょうね。
仮説3:他の仲間は、「憲法9条改悪反対」「戦争へと進む集団的自衛権行使反対」、という考えに賛成である。
スローガンに賛成なのになぜ、クラブケースから外せと言うのでしょうか?他の仲間にとって、どのような不利益があるのでしょうか?
理由を察するに、政府の最高権力者である安倍晋三総理に盾突くのが怖いのではないでしょうか。他人が勝手に反政府の意思表示をするのは構わないが、自分たちも同類だとみられると困るのです。権力に対して従順に振る舞うことが自分の身を守る最善の策だと固く信じて疑わない人は多いと思います。そういう奴隷根性を持った人達にとって反政府の意思表示は、内容がどうであれ御法度なのです。
以上、とりあえず思いつくままに仮説を3つ挙げてみました。実際にどの仮説が正しいのか間違っているのか、私には判りません。何にせよ、政治的議論が日本国内では非常に低調であることは事実です。
熱心で真剣な政治的議論が、全国至る所で日常的になされるようにならなければ、成熟した民主主義国家とは言えません。政治の話をしようものなら白い目で見られ、仲間外れにされかねないというのが現在の日本の状況です。今の日本社会はまだ、憲法を改正できるレベルにまで達していないと思います。
以上