質問に対する安倍政権の答弁はひどいものだ。思いつくまま、特徴を以下に箇条書きする。
・質問と関係ないことをダラダラと説明し、時間を潰す。
・要領を得ず、支離滅裂で、聞く者をイライラさせる。
・質問者の質問自体を非難して、追及をかわす。
・根拠も示さず問題ないを繰り返す。
・承知しないを繰り返す。
・調査や文書の開示を拒否する。
・ようやく文書を出しても黒塗りだらけで解読不能である。
・その他
「疑問なんて持たなくていいから、我々の言うことに素直に従え!」という傲慢な態度が読み取れる。このようなゴロツキ集団にとって、デモや批判を繰り返す国民はうるさいハエに他ならない。捕まえて握り潰したいという願望を抑えることができないのだ。
その結果出てきたのが共謀罪法案だ。政府に対して問題意識を持つ人間を一人残らず捕まえて抹殺するための便利なツールである。平成の治安維持法と呼ばれている。
元祖治安維持法は、戦前、特高警察により乱用され、多くの犠牲者がでた。治安維持法によって引き起こされた、史上最大の言論弾圧事件として知られるのが、1942~45年の間、研究者や出版関係者ら約60人が逮捕され、凄惨な拷問により4人が獄中死した横浜事件だ。単なる宴会の集合写真に写っていた者全員を一方的に犯罪者扱いし、芋づる式に逮捕したのだ。
畑中繁雄氏の著作である『日本ファシズムの言論弾圧抄史 横浜事件・冬の時代の出版弾圧』(高文研)から、以下引用する。
引用始め
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「やい、いつまで白をきってやがるんだ。なぜ、私は共産主義運動をいたしましたって言わねえのかよ。なげえあいだ害毒を流してきやがったくせに……」
私には、なんのことだか見当さえつかなかった。いらだつ気もちは急に腹だちに変わっていった。
「それは、いったいどういう意味ですか」
つとめて冷静に問いかえそうとした、私のその反問はてもなく無視されて、森川(引用者注:神奈川県特高警察の森川清造警部補)の怒声がはねかえってきた。
「なにをこの野郎、太え奴だ。れっきとした共産主義者のくせしやがって!」
瞬間、かれの腕が伸びて、私は頭髪をひっつかまれた。態度を豹変した森川は、ぐいぐい私の頭髪をひっぱって、畳の上にねじ伏せ、頭を自分の膝の間に押しいれるようにした。前のめりに倒された私の両腕は、屈強な二人の刑事によって後ろ手にねじりあげられ、両頬に力まかせの平手打ちがくりかえされた……。「共産主義運動をしたってことを、一言でも否認してみやぁがれ、どうなるか思い知らせてやってもいいんだぜ」「やい畑中! 手前は小林多喜二がどんな死に方をしたか知っているか」「俺たちはな、共産主義者のアバラの一本や二本は、みんなへし折ってるんだ。検事局でもな、共産主義者は殺してもいいってことになっているんだ」「みんな血を吐きゃあがってから、申しわけありませんとぬかしゃあがるんだが、そのときはもう遅いんだ……」──こうしたテロと怒号のうちに、やがて脳髄に沁みいるような疼痛と、朝からの疲労で、身も神経もさすがに弱りかけたとき、膝もとに一片の紙きれをつきつけられ、私はひき起こされて、一人の男に後ろからはがい締めされたようなかっこうになった。と、私の右手は他の刑事によって鷲づかみにされ、私は有無をいわず拇印をとられた。うつろなものになっていた私の目にも、紙片の上に「私は共産主義の運動をいたしました」という、文字が読みとられたのである。
おそらくは、事件は虚偽の事実にもとづいていることに、当時だれよりもいちばんにはやく気づいたのは、ほかならぬかれら自身であったとおもわれる。それだけにかれらの罪はいっそう許しがたいことになる。それをそうと知りながら、なおかれらをこの背徳に駆りたてたものは、そういう人たちの低劣にしてなおかつ性急な出世欲であり、またそれゆえの、戦時政策への狂信的なまでのかれらの迎合心理にほかならなかった、とでも憶測するほかない。いずれにしても、そういう人たちのあえてした背徳行為は、もはやたんなる不作為的過失ではなく、もっとも悪らつな計画的犯罪行為であったといえよう。
えてして戦前の特高本能がそうであったように、治安維持法の濫用による事件のむりやりな拡大とともに、なお殊勲甲へのかれらのあくなき妄執がやがて、かれらに虚像の青写真をつくらせ、いよいよもってふくれあがっていく青写真のすばらしさは、かれら自身を有頂天にさせ、かれら自身をなおそれに陶酔せしめた。しかもできあがった構図はまさに、戦争指導者らの弾圧政策に絶好の口実を提供するものであり、政争の具としても十分適用しうる可能性をもっていた。だからこそ地方警察吏にすぎなかったかれらも、ついに政府筋要人たちと直接繋がりをもちうる糸口をつかみえたことにもなろう。
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引用終わり
治安維持法を乱用して重罪を積み重ねた警察組織は加害者であるが、戦後、苦しみながら過ごした元特高もいるという。下記の投稿を読んで欲しい。
仕事とはいえ、人の道に反する行為を行った者はロクな死に方をしないという好例だ。この投稿で記されている元特高は加害者であるが、被害者でもあろう。治安維持法は誰をも不幸に陥れる悪魔の法律なのだ。
金田勝年法務大臣は、2017年6月2日の衆院法務委員会で、戦前の治安維持法への認識を問われ、次のように発言した。
「歴史の検証は専門家にゆだねるべきだ」
「(同法は)適法に制定され、勾留・拘禁、刑の執行も適法だった」
「損害を賠償すべき理由はなく、謝罪・実態調査も不要だ」
戦前の暗黒政治の中で国民の思想・内心を徹底的に弾圧、統制した治安維持法に対して全くの無知であり、かつ無反省であることが示されたのだ。過去の失敗に対して無反省の者は必ず同じ失敗を繰り返す。このような人物を法務大臣に据える安倍内閣が、共謀罪法案(=治安維持法)を強行採決した。恐ろしい現実である。
共謀罪法案は、2017年6月15日に成立した。野党の質問権を奪う、委員会採決を省略するなど、与党はやりたい放題であった。「平和の党」を名乗る公明党も人権侵害法案に大いに加担した。
今後、権力者の暴力装置と化した警察は、下写真のような犠牲者を再び無数に生み出すのだろうか?
犯罪に加担するであろう警察官の多くは、苦しみもがいて、後悔しながら死んでいくのだろうか?「中世の国:日本」と海外から馬鹿にされている日本は、戦前から何の進歩もしていない。国際的評価のさらなる失墜は免れまい。
最後に:
誠に不幸なことだが、共謀罪や治安維持法に関して、ほとんどの日本国民が無関心で危機感を持っていない。政治の話題を避け、お任せ民主主義に浸りきっている有権者たちは情報弱者である。この記事に賛同頂けたら、ネット上での拡散をお願い致します。
以上