はじめに
無実の人間が逮捕され、自白を強要された挙句に死刑判決を受け、公権力に殺されてしまうという悲劇は、これを読んでいるあなたにとっても他人ごとではない。
今回は、日本の司法制度が中世レベルであることを如実に示す袴田事件について述べる。
袴田事件の概要
1966年6月30日に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件のことである。
濡れ衣を着せられた袴田巌氏(1936年3月10日生まれ)は、本来ならば、実名報道をされるべきではない一般市民に過ぎなかった。
警察の長時間にわたる拷問によりウソの自白を強要され、その後、最高裁判所で死刑が確定した、
冤罪を訴える袴田氏により、その後、度重なる再審請求が行われ、2014年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審を命じる判決が下された。
42年間もの間、死刑囚として収監されたのはギネス記録にも認定されている。
袴田氏は、余りにも長い収監により精神に異常をきたし、まともな社会生活を自力で営むことが出来なくなった。
無罪を公的な場で勝ち取るための再審請求は、2018年6月11日に高裁で棄却された。
警察・検察の醜態、悪質さ
弁護士も同伴させず、連日の長時間にわたる取り調べで意識を朦朧とさせるのは、警察の常とう手段だ。
袴田氏の勾留期限が迫ると、複数人で棍棒を使い殴るけるの暴行を加えたという。
元ボクサーの袴田氏も、睡眠もとれない状態では、正気を保つことは不可能であった。
この時取り調べに当たった刑事は、冤罪を大量に作り上げたことで有名だったそうだ。
警察・検察はシナリオ通りの自白をさせ、判決も予定通り死刑となった。
この過程で証拠のねつ造も行われたというのだから、あきれてものが言えない。
しかし冤罪である以上、真犯人は野放しになり、罪を負うべき者を罰するという本来の仕事はなされなかった。
警察・検察は万死に値する。
裁判官の罪
明確な証拠がなく明らかに冤罪であるため死刑執行停止と釈放が行われた。
にもかかわらず、高等裁判所は裁判のやり直しを拒否した。
再審を行えば無罪判決を出さざるを得なくなるため、拒否したのである。
無罪判決を出せば、有罪死刑判決を出した大先輩たちの顔に泥を塗ることになる。
マスコミでも大きく取り上げられている有名な事件で前代未聞の逆転無罪判決を下せば、自分が目立ってしまう。
上司に睨まれ、閑職で不遇の日々を送ることは確実になるので、再審から逃げたのである。
しかし、公的な場で無罪判決を言い渡さなければ、袴田氏自身の名誉は回復されず、有罪のままになってしまう。
有罪の、しかも死刑判決を受けた人間を釈放したままにしておくのは、明らかにおかしいだろう。
この矛盾を解決するため、裁判所は時間稼ぎという姑息な手に出た。
自分が裁判官でいる間はどっちつかずの中途半端な状態を続け、後任の者に引き継げばいいと思っているのだろう。
そうやって年月が経過しているうちに、高齢の被疑者が死んでくれれば儲けものという考えなのだ。
司法という仕事に携わる資格のない卑怯者と言えよう。
マスコミの罪
警察の発表があったとはいえ、被疑者に過ぎない人間を逮捕当初から実名で報道し続けたマスコミの罪は重い。
大衆の間に犯罪者というイメージを植え付けてしまったら、警察側もメンツを優先して、都合の悪い事実を無視することもあろう。
1966年6月30日に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件の真犯人は、今どこにいるのだろう。
真犯人を野放しにした手伝いをマスコミはしてしまったのである。
警察発表を鵜呑みにして情報を垂れ流すのではなく、捜査の手法を批判するなどジャーナリストの仕事をするべきであった。
視聴者・一般国民の無関心
日本人の人権意識は極めて低い。
思考停止状態で上役に仕えるのが当然という奴隷根性が骨の髄まで染みついている。
自分の人権に無関心なものは、他人の人権にも無関心だ。
無実の者が死刑になっても、何も感じないだろう。
共感力も想像力も失った多くの国民は、政治にも無関心であり、違法行為にも見て見ぬふりをする。
戦後70年以上経っているが、日本人の意識は戦前のままである。
それが無数の袴田事件を生んでいる原因である。
まとめ
袴田氏は30歳で逮捕されて以来、50年以上も犯罪者の汚名を着せられてきた。
自分の人生を公権力により奪われたのである。
公権力側は間違いを認めず、賠償もせず、謝罪もせず、袴田氏が死ぬのをじっと待っている。
2023年3月13日、東京高裁は再審の決定をしたが、検察は、最高裁に抗告する予定だという。
間違いの原因にも向き合わず、再発防止策も講じず、今この瞬間も新たな冤罪を生み出している。
我々国民は、日本国憲法の精神にのっとり、「人権蹂躙状況を絶対に許さない」という強い意思表示を行うべきであろう。
以上