日本国憲法を蹂躙し、法的枠組みを破壊し続ける安倍政権のおかげで、憲法に関して自己学習する機会が増えました。暗黒の戦前から戦後にかけて、憲法価値の大転換が行われましたが、そのことを示す図をネット上で見つけました。
国家や天皇を大切にする社会から、一人一人を大切にする社会に変わったのです。天皇を現人神と信じ込ませる狂った時代から、国民一人一人が個人として尊重されるようになったのは、歴史上の当然の流れです。2016年8月8日に発表された天皇陛下のコメントにも、価値の転換が表現されています。
「私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」
日本社会は、このまま進歩し続けるのでしょうか?残念ながら安心できません。進歩と逆の反動勢力が衆参両院で多数派を占め、第三次安倍再改造内閣は戦前回帰願望の強い人間たちの巣窟となっています。
彼らが目指しているのは、自民党改憲草案の実現です。自民党の改憲草案は、戦前の憲法に戻すことを目的にしています。近代憲法の体を成しておらず、国民に対して命令する文言が盛りだくさんです。憲法は国家権力を縛り、その暴走を防ぐのが目的だということが解っていない者たちが作ったものです。
歴史から学べない愚か者たちが何をしているか振り返ってみましょう。
1)国民主権から天皇主権へ戻そうとしている。
人を脅すことしか能が無い反動政治家たちは、国家元首という飾りを欲しています。戦前でいうところの現人神ですね。それを持ち出せば、国民全員がひれ伏すような絶対的(に見える)存在が欲しいのです。国民の無知に突け込み、労せずして支配・搾取したいのです。一例として、学校現場で有無を言わせず、国旗掲揚・国歌斉唱を強制する輩がはびこっています。この流れを放置していると、紙切れ一枚で命を差し出させるのが当たり前になるでしょう。
2)戦争しない国から戦争する国にしようとしている
アメリカの属国でありながら、プチ覇権主義の妄想に囚われている安倍総理。財界や日本会議の要請も受けて、安保法制(=戦争法)を成立させました。
旧日本軍の侵略戦争を礼賛することでアジアの諸外国にワザと喧嘩を売り、その一方で、友好関係を築くための外交努力は完全に放棄しています。「危険な中国・韓国・北朝鮮から日本人の生命・財産を守るためには安保法制が必要なんだ」という政府の詭弁に多くの日本人は見事にダマされました。
歴史上、侵略戦争をしてきた当事国はすべて、「自衛のための戦争」だと言い訳をしてきたのです。例外はありません。この事実を直視すべきでしょう。このままいけば、日本は「自衛のための戦争」という過ちを再び繰り返すことになります。
3)教育内容に介入しない国から教育を利用する国へ変えようとしている。
悪徳権力者にとって教育現場を支配しコントロールすることは必要不可欠な手段です。日本国憲法の理念に基づいた平和教育を推進されるのは、自民党にとって都合が悪いのです。
「子供たちを戦場に送るな」と主張する教師を「特定のイデオロギーに染まっている」と判断し、「政治的中立性を逸脱する不適切な事例」として密告することを自民党は勧めていました。下図がその証拠です。
ネット上での批判が高まったため、すでに削除されていますが、堕落しきった自民党の本質が良く分かります。
4)政教分離→宗教を利用した国へ
A級戦犯を合祀して以来、天皇陛下も寄り付かなくなった悪名高き靖国神社。この宗教法人の本質は、日本が行った侵略戦争の否定であり礼賛です。海外メディアは「war shrine」(戦争神社)と呼んでいます。適切な表現ですね。
この戦争神社に好んで参拝する国会議員が自民党を中心に多数いるのです。
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」なんていうのもあります。我々は歴史の過ちから学ぶ能力がありません、と宣言しているようなものです。国際的な恥さらしですね。「死んだら靖国神社に英霊として祀ってやるから、安心して戦争に行ってこい」と言われて喜ぶ自衛隊員がいるのでしょうか?
侵略戦争礼賛という考えに染まった特定の宗教団体と政治権力者が結びつくのは危険です。情報弱者の国民は、権力者の言うことを簡単に信じて、間違った方向に流されてしまいやすいからです。
5)地方自治を保障する国→徹底した中央集権の国にしようとしている
日本は実質、アメリカの植民地です。日本国憲法よりも上位にアメリカが存在し、その意向から外れない範囲で自民党政治はなされてきました。その矛盾が一番強く表れているのが沖縄です。
米軍は日本を守るために駐留している訳でもないのに、義務でもない思いやり予算を献上しています。卑屈な態度ですね。その結果、野獣にも劣る多数の米軍兵によって、沖縄の人たちの命が奪われ人権が蹂躙されてきました。
【奪われてきた無数の命と尊厳】駐留米軍による事件事故の年表を沖縄タイムズが発表。日本人ならば事実を直視せよ。
米軍は沖縄から撤退すべきなのに、意思表示の一つもできないだらしない政治家たち。彼らの歪んだプライドは、沖縄県民に対する弾圧という形で噴出しています。自民党の島尻安伊子沖縄・北方担当大臣は、現職大臣でありながら沖縄選挙区で落選しました。しかし、安倍政権は県民の意思など無視して米軍基地建設を強引に推進しています。基地問題での衝突は、日本で地方自治が保障されていないことを象徴しています。
6)差別のない国→障がい者・女性・子供を差別する国へ
障がい者は社会から隔離され、女性は意思決定の場から排除され、子供は家庭の経済事情が悪ければ人生の選択肢が狭まってしまう。これが日本の現実です。
特に障がい者に対する差別は凄まじい。2016年7月26日に神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった大量殺害事件については、容疑者個人の特殊性や措置入院制度の運用だけでなく、社会にはびこる障がい者への差別意識も考えなければなりません。
「自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べる」という副題が付いたブログで、「重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」というタイトルの記事を見つけました。以下にリンクを貼ります。
上記リンク先の記事から一部を引用します。
引用始め
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考えてみてほしい。知的障害者を生かしていて何の得があるか?まともな仕事もできない、そもそも自分だけで生活することができない。もちろん愛国者であるはずがない。日本が普通の国になったとしても敵と戦うことができるわけがない。せいぜい自爆テロ要員としてしか使えないのではないだろうか?つまり平時においては金食い虫である。
この施設では149人の障害者に対し、職員が164人もいる。これではいくら職員を薄給でき使わせたところで採算が取れるはずもない。そんな状況では国民の税金が無駄に使われるのがオチである。無駄な福祉費を使わなくて済ませることが国家に対する重大な貢献となる。だからこそ植松が言うように障害者はいなくなるべきなのである。
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引用終わり
このような暴論に賛同する者は、特に安倍政権の支持者に多いのです。実際、相模原の大量殺害事件の容疑者は障がい者の安楽死を切望しており、安倍総理や自民党の大ファンでした。弱者を差別する戦前回帰内閣が何年も続くことで、暴論を平気で口にする人間がどんどん増え、その結果、悲惨な事件が起こったのです。
7)格差を是正する国→貴族・財閥・大地主のいる国へ
アベノミクスにより富裕層からのおこぼれに預かることを期待している人はいないと思います。トリクルダウン理論は破綻したのです。
99%の人間が1%の人間から搾取され、貧富の格差がますます拡大しています。強欲な富裕層たちはお金の蓄積自体が目的化しており、話し合えば分かり合える相手ではありません。経団連は裏から安倍政権を操り、国民からの搾取政策を推進しています。長期的な経済の停滞などお構いなしです。自分たちの目先の利益にしか関心が無いですから、良心的な判断を期待することはできません。富の再分配を進めたければ、選挙で自民党を政権から降ろすしかないのです。
8)福祉を充実させる国→自己責任を強いる国へ
・奨学金という名の多額のローンを若者に背負わせて、非正規労働で返済が滞ったら自己責任だ。
・年金資金を株式市場で運用し、多額の損失が出たら、支給額を減らしたり時給開始年齢を遅らせる。国民の自己責任だ。
・日本がアメリカの戦争に協力して、日本人がテロリストの標的になり殺されても、自己責任だ。
最近、政治家の間で、自己責任という言葉に人気があるようです。それだけ便利な言葉なんですね。都合が悪いことは、国民の自己責任で何とかしろと言って済むのであれば、政治家は不要です。
消費増税は、社会福祉の充実に用いると言っていましたが、ウソでした。大企業の減税資金に使われていたのです。内部留保に化けたのです。
有権者は、何回ダマされれば気が済むのでしょうか?戦前回帰内閣が、国民のためを思って政治をすることはあり得ないのです。
9)個人のための国家→国家のための個人
「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「WiLL」2006年9月号/ワック)
「いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」(2006年9月4日付の産経新聞)
「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」(2011年3月号の正論)
このような発言をする人物が、最近、防衛大臣になりました。
彼女なら、自衛隊員たちを侵略戦争の駒として使い、戦死させることも厭わないでしょう。心から同情します。しかし、「国家のために個人は犠牲になれ」という安倍政権のスタンスは、防衛・戦争に限ったことではありません。ありとあらゆる分野に及びます。自分は大丈夫だとタカをくくっている人は、後で泣かないように十分警戒すべきだと思います。
以上