2016年現在、最低賃金の日本全国平均は798円である(2019年、厚生労働省の審議会は901円にする案を発表した)。これでは、人間として必要最低限の健康で文化的な生活を営むことは不可能だ。憲法違反の状態なのである。しかし、日本国民の意識は低く、権力側・経営側に対して強く要求するという態度に乏しい。
一体、時給換算でいくらならば、マトモといえる生活が送れるのか?
全労連に加盟する各都道府県の労働組合が最低生計費調査を実施し、その結果が2016年6月に発表された。
参考リンク:「25歳の単身者が生活するには時給1526円が必要」――全労連のデータが話題、2016年度の最低賃金822円との差は倍近く
25歳の独身者が1か月の生活に必要な金額は、額面で22万8853円(手取り18万4770円)。月に150時間働いた場合、時給換算で1526円となる。現状の最低賃金は、必要額にはるか及ばない。
自民党は、2016年7月10日の参院選公約に、最低賃金1000(円/時)を目指すと書いていたが、現実を踏まえていない数字だということが解るだろう。毎日がエイプリルフールと言われる安倍政権では、1000(円/時)の実現すら期待できない。むしろ、庶民からの搾取政策を推進し、実質賃金はさらに低下の一途を辿るであろう。
賃金が安すぎて生活が成り立たない代表的な職場は介護の現場だ。人手不足は、政策の貧困が招いた結果である。流通業では、従業員の9割近くが非正規で成り立っているところも珍しくない。時給1000円未満での搾取労働を蔓延させて、大企業では数百兆円の内部留保を実現している。哲学が欠落し、視野の狭い強欲なだけの悪徳経営者を英雄視する風潮は嘆かわしい。
最低時給を上げろと主張すると、決まって帰ってくるセリフがある。
「国際競争力を確保しなければならないので無理」
「経営が成り立たない」
見苦しい言い訳である。庶民の人間的な生活を破壊しなければ成り立たないような経営は、その方法自体が間違っているのである。そんな会社を存在させてはならない。
社会として最低賃金を上げないという選択をするならば、今のままの低時給でも生活できるシステムを実現するべきだ。まず、逆進性の高い消費税廃止は当然だ。ぜいたく品などには高い税金をかけても構わない。学費は大学まで無料とし、子供の医療費もタダにすべきだ。原発事故の尻拭いを利用者にさせるため、電気料金を値上げするなど論外だし、暴動が起きないのが不思議である。狭くて質が低いくせにバカ高い住居費も大問題だ。例えば独身者が狭いアパートに一人暮らしするならば、一か月数千円で済むようにすべきなのである。日本社会では狭くて高いアパートが常識だが、国際的に見れば異常である。
日本人は異常な「常識」を当たり前と思い込み、お上の指示にひたすら従うだけだが、この奴隷根性は何とかならないものか。どんなに苦しくてもお上の言うことには逆らわず、ストレスは自分より立場が弱いものをイジメることで解消する風潮がはびこっているが、それは非常に安易で怠惰な姿勢である。
苦しい生活を改善したいならば、だれかに頼るのではなく、まずは一人一人が意識を変えてやかましい有権者にならなければならない。黙っていても、そのうち暮らしやすい社会が実現することはあり得ない。投票率が5割程度で、お任せ民主主義が蔓延していたら権力者の思う壺である。
個人個人の意識や考えが発言や行動に結び付く。発言・行動が続けばそれは習慣に変わり、社会の風潮に影響を与える。「出る杭は打たれる」や「長い物には巻かれろ」という意識が変わり、人々が政治的主張をするようになれば、必要な法律や制度の実現につながるだろう。一日二日ですぐに解決できない問題だが、現実から目を背けたり、快楽や安逸さに流されてはならないと思う
すぐには解決できない問題に対して、出来ない言い訳はいくらでもできる。しかし、実は個人の立場で出来ることはいくらでもあるのだ。労働基準監督署に対して、匿名で情報提供するだけでもかなりの効き目がある。
最後に、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て大統領に就任したネルソン・マンデラ氏の名言を紹介して、この記事を終えたい。
「人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとっての良い社会、よい生活を追い求めもしないで、それらを手に入れるのは不可能なのです」
以上