レイプ被害に遭ったにもかかわらず、加害男性は正当な理由もなく逮捕を免れたとして、冒頭写真の女性は異例の顔出し会見を行なった。加害男性は書類送検されたものの不起訴処分となり、納得がいかない被害女性は検察審査会に不服申し立てを行なっている。加害者とされる男性は安倍官邸御用達のジャーナリストで著名人である。そのため、権力側の圧力が原因で、警察もこれ以上手を出せず、女性側に示談を勧めるばかりだったという。忖度がお得意のマスコミはロクに追及もせず、ダンマリを決め込んだままだ。権力に対して批判ができないマスコミに存在価値はない。
被害に遭った立場の弱い女性が泣き寝入りを強いられている典型的なパターンだ。しかし、泣き寝入りせず、勇気を持って行動を起こしたこの女性に敬意を表したい。一人一人の行動が積み重なり、理不尽な社会的状況を変える原動力となるのだ。
この事件を見て、2016年2月のベッキー騒動を思い出した。ベッキーの不倫騒動は、安倍政権の悪政から国民の関心をそらすのためにマスコミが協力しているというのが実態だ。スピン報道とはいえ、海外イギリスのガーディアン紙が、女性差別の観点から記事を書いているので紹介する。
参照リンク:( )内は私の邦訳。
「Downfall of Japanese TV’s girl next door highlights wider industry sexism」(人気女性アイドルの凋落:日本の芸能業界にはびこる女性差別)
上記のリンク先記事内容要点を以下に記す。
要点始め
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ベッキーはハーフのタレントとして、親しみやすく、さわやかで、どこにでもいる女の子というイメージを売りにしていた。
最も人気がある芸能人の一人であったベッキーは、不倫騒動によりすべてを失った。
CM契約は無くなり、番組出演は打ち切られ、休業後に復活する見込みは無い。
その一方で、不倫相手の既婚男性(川谷絵音)は、芸能人としてのキャリアにほとんど影響を受けていない。
明るくて従順で品行方正な女の子というイメージこそが、ベッキーにとっての存在意義であり、そのイメージが一度失われたら、芸能界にとって商品価値がなくなる、ということだ。
実際、不倫騒動以前に撮影された番組を放映したところ、ベッキーが写っていたために、10分で1000件を超える苦情が殺到した。
日本においては、男性ファンを意識するあまり、女性アイドルに対して恋愛禁止の決まりが課されている。
2013年、AKB48のメンバーである峯岸みなみ(当時20歳)が恋愛禁止規定に反したため、丸刈り姿で謝罪を行った。成人年齢の20歳になったら、恋愛禁止を適用すべきではない。
最近、東京地裁で、女性タレントは男女交際を楽しむ権利を憲法で保障されている、という判決を下した。日本では驚くべき判決だ。
しかし、今後も、日本の芸能事務所のがんじがらめ慣行が弱まることはないだろう。
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要点終わり
以上が、イギリス:ガーディアン紙の報道内容要旨だ。
女性タレントに対する恋愛禁止規定は、憲法の幸福追求権に反するし、人権侵害だ。利益を得るためならば女性の人権を踏みつけにしても構わないという間違った常識は正さなければならない。
基本的に、ベッキーと川谷絵音の不倫行為は個人的なことであり、マスコミが報道する必要はない。しかし報道された結果、不利益が女性のベッキー側だけに生じるという事実は、男尊女卑の思想が無意識下で根強く残っていることの証拠だと言わざるを得ない。
以上、2つの例を挙げたが、日本という社会は、女性に対して泣き寝入りを強いる状況が非常に多いように感じられる。女性差別と表現して間違いないだろう。
女性差別を生む土壌は何か?日本では実質、意思決定の場から女性がほとんど排除されているという現実を認識すべきだ(下図)。その結果、男性にとって都合の良い社会構造が知らぬ間に作られてきたのである。
女性に生まれたがゆえに不利な条件を強要される。このような現状を放置するならば、社会は衰退の一途を辿ることになるだろう。
最後に:
下記は関連記事のリンクです。ご参照ください。
以上