安倍晋三さんは、森友学園前理事長の籠池さんのことが嫌いになったようです。
政権維持にとって都合が悪くなったので切り捨てたのです。その結果、籠池夫妻は逮捕され、長期間拘留されることになりました。裁判が始まる前なのに、テレビで籠池氏のことを詐欺師呼ばわりするなど、権力者としてあるまじき暴言もありました。
しかし、もともと安倍晋三さんは籠池さんのことが大好きでした。
安倍昭恵さんも同様です。名誉園長になっていたほどです。
安倍夫妻が塚本幼稚園を絶賛していた理由は、その教育方法にあります。
疑問を持たずに上の言うことに素直に従う人間を作るという点が気に入ったのです。本質的には、文部省が全国で推し進めている方針と同じです。露骨さが多少異なる程度です。
この幼稚園児がやっていることと同じ現象が、2017年10月の衆議院選挙活動で見られました。2017年10月21日に秋葉原で行われた安倍総理の街頭演説で見られた風景は典型的です。
自民党の広報誌である産経新聞は、本来ならば、秋葉原での安倍総理演説を新聞一面に飾るところですが、その風景があまりに醜悪だったため、仕方なく、立憲民主党:枝野代表の新宿演説を使わざるを得ませんでした。
教育の目的の一つは、健全な批判力を養うことです。従順な奴隷かどうかチェックするために日の丸・君が代を強制するような寒々しい学校教育に疑問を持たねばなりません。アベ応援団の大人たちは、疑問を持つこともなく思考力を失った人たちなのでしょうか?単にお金で動員されたネトウヨさんなのでしょうか?気味が悪いというか、哀れさを感じずにはいられません。
搾取されるだけの庶民でありながら、悪徳権力者を絶賛する理由はないはずです。自分は権力側だと勘違いしているならば、状況認識力の無さは幼児レベルと言えるでしょう。このような奴隷根性が全国に蔓延した時に権力は暴走し始め、取り返しのつかない事態を招くのです。あの戦争から70年以上が経過していますが、日本人は何か進歩したのでしょうか?
有権者たちの意識次第で政治は変わります。次の名言を有権者である我々は胸に留めておくべきです。
「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」
(出典:「スマイルズの『自助論』エッセンス版」P17)
以上