独裁者の異名を持つ経営トップでも、自分の会社が大企業病にかかっていないか心配することがあるらしい。しかし、大企業病がどのようなものか分かっていないことが多いようだ。以下に、大企業病と言われるものの様態を示す。
1)直言できる者が社内にいないので、トップが間違いに気付かない。
本来トップに立つ人間は、誰よりも聞く耳を持っていなくてはならないのだが、自分にとって都合の悪いことを直視しないケースが多い。事実を把握しているのは下の立場の者なのだが、聞く耳を持ってない上役へ情報を上げることには抵抗がある。運良くトップ経営者が勝手に気付いてくれればいいが、知らぬまま間違った判断を行い、多大な経営資源を無駄にしてしまうことがある。
お金で済めばいいのだが、死亡事故など、取り返しのつかない事態を引き起こすこともあある。聞く耳を持たないトップほど、結果責任を部下へ押し付け辞任を強要する傾向がある。健気に従順に奴隷サラリーマンを演じてきた報酬がポイ捨てでは、死んでも死にきれないだろう。
2)上役のご機嫌を伺いながら過ごすことが最優先事項になる。
組織の中で独裁者のご機嫌を損なえば、組織から退場せざるを得なくなる。給料で飼い慣らされて他に生きるすべがない人にとっては死活問題だ。必然的に、自分を守るための方策に多くの労力が奪われることになる。
トップ経営者の前では、ただひたすらイエスマンを演じる以外に選択肢はない。卑屈なイエスマンに成るしかない者は、同じようなイエスマンを部下にしたがるものだ。求められる資質は、上役の要求に疑問を持たず素直に従う心と、それを実現するための根性である。いわゆる体育会系の奴隷システムを全否定する訳ではないが、それに近いものばかりが重宝される状況は異常だ。自然界も多様性が失われると、環境変化に対して柔軟に対応できなくなり脆い。「グローバルな経営環境の激変に対応・・・」とかいうセリフを吐くならば、それに対応すべき社員の資質を多様化すべきなのである。金太郎飴工場と化している学校教育の現状を黙認しているようではダメである。
3)社員同士の横の連携がお粗末になる。
サラリーマンであれば上役の意向を尊重するのは大切である。しかし、四六時中そればかりを気にしてビクビクしながら過ごすようになると、必然的に視野が狭くなる。自分や自分が管理する部署の生き残り・実績が最優先になってしまうのだ。他の部署への影響や、最終的な消費者の利益が後回しになりやすい。
会社組織内には、多種多様な部署が存在するのが普通である。誠意のある横のコミュニケーションなくして会社目標は達成できないし、ましてや新しい価値を生み出すなど夢物語となる。気持ちに余裕がなければ、違う立場の人間の意見に耳を傾けるのは難しい。独裁的トップから降りてきた非現実的な目標を無理に実現しようとする場合、そのしわ寄せは下の立場の者が引き受けることになる。追い詰められた者同士が、誠意のあるコミュニケーションを実践するのは困難なのだ。
4)社員がモノとして扱われる。
独裁者が君臨する組織では、No.2以下の人間はただの駒に過ぎない。例えば、会長に全権があるような会社では、肩書が社長だろうが専務だろうが、No.2以下の人間は取り換え可能な手足なのである。プライドを捨てて、日々トップの意向にビクビクしなければならない心労を想像すると、頭が下がる。
自分が使い捨ての道具に過ぎなければ、その配下の部下たちを人間扱いできなくなるのは当然だ。社員たちは奴隷的精神を強要され、耐えられない者は辞めていく。奴隷にかけるコストは少ない方がいいので、非正規社員が増える。忠誠心のない者が増え、言われたことしかやらなくなる。上下関係での信頼は失われ、ガチガチのルールによって社員を縛る慣行が常態化する。失敗すればムチで打たれるだけである。モチベーションが低下し、仕事の効率は落ちる。最近、鬱病が多発しているのは偶然ではない。
5)社会への貢献力が損なわれる。
組織への忠誠心が社員から失われれば、親身な態度を期待することもできない。下からの提案は無くなり、会社独自の商品やサービスが乏しくなっていく。他社の後追い・物まねばかりをしていれば、価格競争に巻き込まれ、利益率低下を招く。
社員に対して提案何件と義務化しているケースを見受けるが、形だけで実質機能しないことが多い。提案が自然に生まれにくい素地があるので、まずそこに目を向けなければいけないのだが、しない。提案できないように精神的に追い詰めて、一方で提案を強要するとは現実を無視した滑稽な態度である
6)世間での流行りを形だけ取り入れる。
「グローバル対応には英語が必須だ」と思い込んだ独裁トップは、社員の英語力底上げが必要だと主張することが多い。条件を満たす社員全員にTOEICを受験させたり、英語学習への補助制度を作ることもある。そのこと自体は悪くないが、実際に成果を上げても英語が必要な業務に就くことがなく、給与手当にも反映されないケースが多い。グローバル人材確保の掛け声の下、外国人を社員として採用し配属するが、日本の会社体質に馴染めず、幻滅して辞めていってしまう。会社としては、結果として大金をどぶに捨てているのと同じである。「国際化」に真面目に対応してきた社員たちはバカバカしい思いをさせられる。
しかし、独裁トップの取り巻き人間たちにとって、そんなことはどうでもいいのである。「ご要望通り、うちの社員の英語力は向上しつつありますよ」「外国人社員が日本人社員と一緒に仕事をするのが珍しくなくなりましたよ」とトップに説明し、グローバル対応できているかのように演出できればいいのである。世間の流行りを上っ面だけ取り入れた浅薄さを気にすることはなく、トップのご機嫌が取れればそれでOKである。
7)道徳規範がトップの見識頼りである。
トップ経営者が独裁的で態度が専横だといっても、そのこと自体は違法ではない。「嫌なら辞めろ」と言われても、裁判沙汰にはできない。しかし、そのような体質が蔓延した職場では、最低限の道徳である法律を無視した制度やルールが運用されてしまう可能性が高くなる。違法な社内規則はすべて無効なのだが、大企業病に罹っていると、上に対して異を唱えられないため、違法行為が常態化してしまう。労働基準監督署に摘発され、指導されるのは氷山の一角だ。
日本社会では戦前・戦中の教訓が生かされていないせいか、無能なトップの狭い見識・脆弱な判断力にすべてを委ねて、間違った方向に突進してしまう悲劇が後を絶たない。取り巻きの奴隷経営職や配下社員の問題意識が低いこともあり、違法を違法と認識する力も弱まっている。ブラック企業の蔓延は、独裁トップと社員が協力した結果といえるだろう。
8)会社やその商品の宣伝が必要以上に派手になる。
せっかく作った商品を、宣伝することは多かれ少なかれ必要なことである。経営トップが会社紹介や経営哲学を語ることも必要だろう。しかし、経営トップの虚栄心を満たすだけのために、不必要なテレビCMを流したり、新聞広告を行う場合があるのだ。そこには誇張だけでなく、事実の歪曲も含まれることが珍しくない。情報の受け取り側を誤解させるという点で犯罪である。
テレビCM・新聞広告・パンフレットなどの宣伝が、以前と比べて急に派手になった場合は注意が必要である。末端の一般消費者を相手にしている訳でもない企業のトップが、必要もないのに急にテレビに出演し出す場合があるが、言っていることが空虚で、見終わった後に何の印象も残らないことが多い。会社の利益を棄損するだけの本質的無駄といえよう。
9)他の悪徳会社とつるんで、経営判断を誤る。
経団連は日本の大企業の中でも特に大きい会社の集まりである。経団連は選挙権を持たず、政治的な主体ではないにもかかわらず、自民党政権を長年に渡って裏から操ってきた。政治家と財界が結託した結果、日本社会は歪み、最終消費者や国民生活に多大な損害をもたらしてきたのだ。
大企業同士が交流したり連携することは悪いことでなく、必要な場合もある。しかし、今の経団連は、消費税アップ・法人税減税・労働規制緩和・原発推進・安保法制推進・憲法改悪など、国民を追い詰める政策を政治家に要望している。そして、実際に大きな「成果」を上げてきた。哲学のない悪徳集団に成り下がったのである。
人間としての哲学を持たない、そして善悪の判断能力に乏しい独裁トップ経営者は、経団連に惹かれる場合が多いようだ。例えば、元々、原発問題への関心が薄い経営者が、経団連の福島原発収束神話に共鳴した場合、悲劇が起こり得る。2011年3月の福島原発事故後に、福島原発に近い汚染地域に新たな事業所を建設し、社員を赴任させた実例があるのだ。
最後に:
大企業病が発生するかどうかは、経営トップの聞く耳にかかっている。聞く耳が無ければ大企業病は慢性化し、悪化する。死に至る病となり、市場から淘汰される。創業100年を超えるような、世間的には一流と見なされている巨大企業が悲惨な末路を辿ることも珍しくない。
会社組織内では、選挙制度で経営者が選出されることはない。最終的な決定権を持つトップ経営者が、自分にとってやりやすい人間を部下として引き上げるのは悪いことではない。しかし、その経営者が自分自身に対する理解が浅く、精神的な怠惰に流されている場合、大企業病の予防は難しくなる。創業者から経営を引き継いだだけのサラリーマン経営者や、政府の官僚組織は特に注意が必要だ。
自浄能力を全く発揮できず、大企業病を悪化させ続けている組織は無数にある。民主的な選挙制度に頼れないのであれば、内部告発によって、組織外から圧力を掛けて改善を促すシステムの充実が急務だと考える。
以上
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