安倍内閣のことなので驚きはしないが、極右反動の防衛大臣が誕生した。
そして稲田氏は、2016年12月29日、防衛大臣就任後初めて靖国神社を訪問した。靖国神社は、国際的にはWar Shrine(戦争神社)と適切な表現で呼ばれている。しかも、靖国神社を訪問したのは、安倍総理と共に真珠湾を訪問した直後である。総理が表明した「慈悲の心」「寛容」「和解」「不戦の誓い」などの美辞麗句が空しく感じられる。安倍総理が稲田防衛大臣の靖国参拝を批判しないのであれば、真珠湾での美辞麗句はすべて言葉遊びに過ぎないということになる。
彼女は日本会議に属しているので、戦前回帰願望が強い。また、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に入っているだけあって、日本の侵略戦争を美化し、侵略された側のアジア諸国に悪態をつくことに余念がない。国際的には極めて評判の悪い政治家の一人である。
過去の発言にも、その無知・無教養ぶりがうかがえる。
「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうか」
「『草食系』といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれない」
「「その国のために戦えるか」が国籍の本質だと思います」
「日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」
安保法制に喜んで賛成しており、安倍総理のお気に入りの一人だ。憲法遵守義務など気にする素振りもない。しかし、その一方で次のような発言もしている。
「私にも大学生の息子がいますが、赤紙で徴兵されるのは絶対に嫌です。憲法は徴兵制を認めていない」
「徴兵撤廃が世界の流れ。日本で徴兵制の復活はありえません」
「徴兵制というのは、まったく憲法に違反していると思いますし、徴兵制で集めて国を守るというのもナンセンスだと思う」
発言の一貫性という点で疑問符のつく人である。支離滅裂と言った方がいいかもしれない。それとも、自分の家族を守れれば、他の人間のことはどうでもいいのだろうか?軽薄な印象を拭えない。
稲田朋美氏のような政治家を無邪気に支持する日本人が多いのには、あきれると同時に絶望感すら覚える。大企業の重役という肩書を持っていても、軍国主義の復活を商機だと喜んでいる輩が多いのも問題だ。
彼らのような愚か者に共通するのは、戦争というものへの無知と想像力のなさである。広島・長崎への原爆投下や東京大空襲という言葉を知っていても、戦争の真実は知らない。
戦争とは何か?それは、人間の崩壊である。戦争という現場で、現地人と侵略兵の間で具体的にどのようなやり取りがあったのか?その事実を知ることが重要だ。
日本人の多くは自国の侵略戦争の話を聞くのが嫌いなので、代わりに、アメリカによるベトナム戦争の例を挙げよう。
権力の手足として殺人マシーンと化したアメリカ兵たちは、侵略先のベトナムで、悪魔のような殺戮行為を繰り広げた。以下は、『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン:鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(合同出版、1971年)からの引用である。
引用始め
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私が負傷する直前の10月の末に、われわれはカンボジア国境から約135マイルから140マイル離れた町にいた。町の名はドンタンで、私の分隊はそこの小さな村から18マイルほどはずれたところにあるトンネルに送りこまれた。
分隊には9人の者がいて、8人がトンネルの中に入った。中に入って、われわれは9人の北ベトナム軍の負傷兵と3人の北ベトナムの看護婦を発見した。分隊の7人の兵隊が担架から捕虜を追い出し、ギブスをはめていた捕虜をベッドからひっぱり出した。そして彼らをトンネルの片隅にほうり出した。
そのあと兵隊たちは3人の看護婦につかみかかった。看護婦は18歳から25~26歳ぐらいだったと思う。看護婦は殴られ、衣服をはがされた。娘たちがその場に崩折れると、彼らはその胸をつかんで引き起こし、また殴って、打ちのめした。
それから一人の娘が引き出された。2人の兵隊があとの2人の娘に銃を突きつけたので、その2人は動けなかった。ほかの5人の兵は最初の娘をマットの上に押し倒した。2人がその腕を身体のうしろにまわして押え、あとの2人が脚をひろげさせた。残りの1人がその娘を犯した。
その男が終わると、別の兵隊が彼女を犯した。娘は悲鳴をあげた。兵隊は彼女を殴り、おとなしくしろと言った。娘は「チュウホイ」と言いつづけた。つまり降伏したいという意味だ。
5人全部がその娘を犯すと、あとの2人が彼女を犯し、その間2人の者が残りの2人の娘に銃を向けて見張りをした。それから、その2人の娘についても同じことがくりかえされた。それぞれの娘が何度も強姦されたのだ。彼女らはその間ずっと泣き叫んでいた。
強姦がすむと、GIたちの3人が投擲照明弾を取り出し、娘たちの性器につっこんだ。彼女らはその時には意識を失っていた。どの1人ももはや押えつけておく必要がなかった。娘たちは口や鼻や顔、そして性器から血を流していた。
そのあと、彼らは照明弾の外の部分をたたき、それは娘たちの身体の中に入っていった。胃袋が急にふくれあがったと思うと、弾は身体の中で爆発した。胃袋が破裂し、内臓が身体の外に垂れ下った。
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引用終わり
引用始め
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問 尋問を見たことがあるか?
答 見た。私がつかまえて、連行した何人かの捕虜について行なわれたものだ。おそらく25回ないし30回の尋問を目撃している。
問 その模様を話してもらえるか?
答 そう、私は少年をつかまえた――17歳ぐらいだったろう。私はその子の脚を射ち、相手は倒れた。彼は武装していた。私は武器を取りあげ、応急手当をして看護用ヘリコプターを呼び、中隊の司令部に連行した。彼に手当てを施すと、われわれは尋問した。
問 尋問に立ち会ったのか?
答 立ち会った。ずっと見ていた。ベトナム人の尋問官が話しはじめた。少年は腿に傷を受けていて、その部分を縫合され、輸血されていた。尋問の途中で、私は尋問官が手をのばして相手の脚の包帯をはぎとり、銃床でそこをなぐり、また血をふき出させるのを見た。少年は多量に出血した。すると、しゃべればまた包帯を巻いてやると言われた。少年はしゃべろうとしなかった。そこで尋問官は銃剣を取り、銃弾がつくった足(ママ)の傷を切りひらいて大きくした。それでもまだお手やわらかな方だった。彼らはさらに相手を責めつけて、ついに殺してしまった。
問 どんなふうに殺したのか?
答 拷問して。
問 どんなふうに拷問したのか?
答 指を切り取ったのだ――一度に関節ひとつずつだ。さらに相手にナイフを突き立て、血を吹き出させた。
問 どこに?
答 相手の顔、腹、手、脚、胸に突き刺して血だらけにした。
問 どのくらいそれはつづいたのか?
答 約3時間。最後に少年は気を失った。意識を取り戻させることはできなかった。尋問官はピストルを引き抜き、彼の顔を射った。彼が死ぬと、連中はその鼠蹊部を切り取った――つまり虚勢したのだ――そしてその部分を口に縫いあわせた。そのあと死体をその村の真中に立てて、掲示をぶら下げた。だれでも手を触れる者はこれと同じ扱いを受ける、と。だれも触ろうとはしなかった。女にもまったく同じやり方をするんだ。
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引用終わり
上記のような蛮行を繰り返したアメリカ兵たちは、母国へ帰還した後も精神疾患に苦しみ、まともな社会復帰を果たすことは困難だった。当然である。侵略された側の人間たちの苦しみも想像を絶するものだろう。軍需産業でたらふく儲けた死の商人たちは、万死に値する。
戦争は何も解決しない。人間の崩壊、社会の崩壊という悲劇をもたらすだけである。このような事実もわきまえず、軽薄な軍国主義思想を吐露する人間が増えているが、それがいかに野蛮な振る舞いであるか理解できるだろう。
以上