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【石巻市立大川小での津波被害】死者の視点に立った対応とは何か?

写真(津波被害に遭った大川小とその周辺) 出典:NHK

 石巻市立大川小学校を襲った津波災害の概要を以下に述べる。(出典:ウィキペディア)

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「2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。この結果、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。スクールバスの運転手も死亡している。
学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件事故としては戦後最悪の惨事となった。」

「地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、最高責任者の校長不在下での判断指揮系統が不明確なまま、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。普段から避難に関する教育を徹底し児童らだけの自主的避難により99.8%が無事だった釜石の全小中学校や、地震直後より全員高台に避難させ在校児童が全員無事だった門脇小学校と対照的とされた。」

「2014年3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し総額23億円の損害賠償を求める民事訴訟を仙台地方裁判所に起こした。
2016年10月26日、仙台地方裁判所は学校側の過失を認定し23人の遺族に計約14億円の支払いを石巻市と宮城県に命じた。石巻市と宮城県は大川小学校は津波の浸水想定区域に入っておらず津波の際の避難所として指定されていたことなどを理由に津波の襲来を予見できなかったと主張したが、仙台地方裁判所は少なくとも石巻市の広報車が大川小学校付近で津波の接近を告げ高台への避難を呼びかけた時点までに教員らは大規模な津波の襲来を予見できたはずであり、学校の裏山に避難しなかったのは過失だと結論づけた。」
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 文部省が立ち上げた第三者委員会や石巻市教育委員会の原因究明に対する姿勢は極めて消極的だ。それだけでなく、証拠となる文書やメールを積極的に廃棄するなどの隠ぺい工作に熱心であった。生き残った教師も裁判での証言を拒否するなど、被害者遺族の傷に塩を塗り込むような態度を取り続けてきた。話し合いで解決できないならば裁判になるのは当然であり、判決の結果は当たり前の内容であった。


写真(大川小学校の津波訴訟判決を迎え、仙台地裁に入る原告遺族ら) 出典:時事ドットコム

 大川小学校で津波被害に遭った児童遺族の有志は、2012年8月26日に、切実な思いを文書で発表している。以下に、その全文を引用する。

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大川小学校被災について

大川小学校の体育館脇にはだれでも登れる山があります。椎茸栽培や野球のボール拾いなどで子どもたちが日常的に目にし、登っていた山です。あの日、私たちは津波がきてもあの山があるから大丈夫だろうと考えていました。

地域の方に見守られ、子どもたちが大好きだった学校で、多くの子ども、先生方が亡くなりました。「行ってきます」と手を振って家を出た、あの日の姿が胸に焼き付いたままです。毎日、駆け回っていた近所の子どもの姿も消えました。このことをどう受け止めればいいのか。多くの人が心のバランスを崩しています。まさに前例のない事態です。教育委員会には前例のないことなのだから、この事実にしっかり向き合って知恵を出し合いましょうと、話し合いの必要性を呼びかけてきました。はじめはかみ合わなくても、話し合いを重ねていく中で、何らかの方向性が見えてくるはずです。

昨年(2011年)4月9日の第1回目の説明会で「倒木があったので山には避難できなかった」そして「三角地帯に避難の途中で津波が来た」(三角地帯とは北上大橋のそばの堤防です)と説明をうけましたが、山には倒木が一本もなく、子どもたちは学校のすぐそばで波に飲まれています。

大川小学校だけが、こんなに多くの子ども、先生が管理下で亡くなったという事実に向きあったとき、単に「想定外」という言葉は使えません。ましてや、一本も木が倒れていないのに「倒木のため山へ逃げなかった」で済ませてはいけないと思います。

これまでの説明では、「倒木」をはじめ、避難が遅れたことが仕方なかったという事柄が強調され、逆に「バスがあった」「情報があった」「子どもは山に行きたがっていた」という内容は、できるだけ出さない、あるいは「確認できない」としています。少しでも長い間避難していたことにするためか、避難開始時間は曖昧にされ続けてきました。

避難するための「時間」「情報」「方法」がありながら、結果として1mも上には行っていません。また、多くの証言から子どもたちは「山へ逃げよう」と進言したことが明らかになっています。山へ向かったのに戻された児童もいます。目の前にある山に逃げたかったにもかかわらず、迫り来る津波の恐怖におびえながら、校庭にじっと待たされていたのです。市教委でもその事実はつかんでいるはずですが、これまでの説明ではその部分はカットされています。

教育委員会では今後の防災教育について「自分で判断できる子どもの育成」を掲げていますが、この点においても大川小の子どもたちが「山へ」と判断して、進言していた点は非常に重要です。けっしておざなりにしてはいけないと思います。

先生方を責めるのではありません。事実を隠し、そっとしておくことが先生方を守ることではないのです。教育委員会・遺族の立場を超えて、それ以外の方々とも一緒になって「命」について、考え、話し合い、伝えていきたいと思います。

あの日まで、大川小学校の教室で、校庭で光り輝いていた命の話をしたいのです。「行ってらっしゃい」と笑顔で送り出された命。恐怖の中黒い波に飲まれてしまった命。それは、守れたかもしれない命です。私たちはその命に真剣に向き合わなければならないと思っています。目指す方向は対立でも暴露でもありません。

学校管理下でこれだけ多くの犠牲を出しながら、これまでの市教委の対応はあまりに残念で、説明会のたびに失望しています。肝心なところは、「メモは捨てました」「メールは削除しました」「忘れました」「記憶がはっきりしません」と言うばかりで、はっきりしないまま、時間がかかってしまいました。「誠心誠意」とか「重く受け止める」などといくら言われても、これでは信用できません。

教育委員会のこうした体質は、学校の信頼を取り戻すためにも正していくべきです。今までの見解が事実と違っていたのであれば認め、真の検証をしてほしいと思います。
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 自分の親族を亡くしている立場で、泣き寝入りせず、冷静に理性的に真摯な訴えを行っている。敬意を表さずにはいられない。一方、保身しか頭にない石巻市側は逃げ回るばかりだ。裁判で負けても反省することなく、控訴する方針を固めている(2016年10月28日現在)。大過なく過ごし、退職金をもらう日を楽しみにしているのだろうか?

写真(判決が不服で控訴する方針の石巻市) 出典:JNN

 事件や事故で犠牲者が出た場合、生き残った我々が重視しなければならないのは死者の視点である。津波に飲み込まれ、身体をズタズタにされた死んでいった者たち。死者は恨み言を言わない。言いたくても言えないのだ。ただ、無限の深みから我々をじっと見つめるだけである。見つめられる側の我々がなすべきことは、すでに明らかである。

 事実を直視し、原因を究明し、再発防止に全力を尽くすこと。人間として最低限の使命を果たす意思がないならば、社会的な存在価値を疑われても文句は言えないだろう。

以上

JUN: こんにちは。JUNといいます。 中年の男性です(既婚者)。 大学卒業後に民間企業(メーカー)に勤め、いつの間にかベテランと言われる年齢になりました。 皆さんに役立つ情報を提供したいと思い、ブログを始めました。 政治社会問題を扱うことが多いです。 れいわ新選組の山本太郎さんを支持。 難しい問題を分かり易く丁寧に解説するのが基本方針。 気軽に読んで頂けると嬉しいです。 その他プロフィール: ・大学は理系の学科を卒業 ・働きながら通信教育で心理学と人間行動学の修士号を取得 ・独学でTOEIC940点を達成(2020年1月) なお、ブログ記事の無断転載は法律で禁止されています。 どうぞよろしくお願いいたします。