上の写真は、日本が法治国家でなくなったことを世界に示した瞬間です。安保法案という名の戦争法が強行採決された場面であり、世界中に配信されました。大混乱と怒号の中、採決を求める声は聞き取れなかったにもかかわらず、「議事経過」という文言がねつ造され書き加えられたことが判っています。これでも、安保法案が正常な手続きのもとで採決されたことになっているのです。
世界に誇れる先進的な日本国憲法を持ちながら、戦後70年経って、ナゼこのような醜態を見せられなければならないのでしょうか?2015年9月、「日本は戦争ができる国になったんだぞ!」と世界に向かって宣言したのですが、ここに至るまでの経緯を分かりやすくまとめた書籍を以下に紹介いたします。
新品価格 |
本書の内容を元にして、戦争法成立に至る道程を、かいつまんで紹介しましょう。
1)
1950年に始まった朝鮮戦争のため、駐留米軍が出撃し、空になった日本国内の米軍基地を守る必要が生じた。そのために、警察予備隊という日本の軍隊が創設され、米軍基地内に配備された。また、海上保安庁は、朝鮮海域で機雷の除去作業という軍事作戦に参加させられ、機雷の爆発で戦死者が出た。これらは、明らかな憲法9条違反である。
2)
1952年7月と1954年2月に当時の吉田首相はアメリカと口頭で、「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約を交わした。
3)
砂川裁判は裏でアメリカによりコントロールされ、最高裁判決では、「安保条約などの国家の存立にかかわるような高度の政治性をもつ問題については、裁判所は憲法判断ができない」という判例を作ってしまった(1959年12月)。つまり、日本政府がアメリカとの間で違憲の条約を勝手に結んでも、それを食い止める手段がなくなったのである。日本国憲法は事実上、権力者の暴走を防ぐ機能を停止した。
4)
1960年1月、日米安全保障協議委員会(2+2)が設置された。1978年11月、「ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」が作成され、1997年9月、ガイドラインが改定された。(第二次ガイドライン)
5)
2015年4月に了承された日米新ガイドラインにより、日本軍はアメリカの指揮下で、世界中で戦争をする必要が生じた。昔アメリカと交わした密約は、あくまで、日本とその周辺だけの話であり、その地域的な縛りを外さねばならない。「存立危機事態での集団的自衛権行使」を可能とする国内法を整備する必要に迫られたのである。その結果、安保法制(=戦争法)の強行採決が、2015年9月に行われた。
戦後70年以上に渡ってアメリカの属国であり続けた結果、日本はついに戦争ができる国になったのです。憲法はあからさまに蹂躙され、法治国家としての枠組みは崩れ去りました。政治家がマスコミの力を借りてどんな詭弁を弄しても、世界中からは無法国家だと見られているのです。
著者である矢部宏冶氏は、公開された密約資料も含めて膨大な文献を調査し、本書をまとめ上げました。分かりやすく書かれているので、特別な知識が無くても理解できます。特定の政治信条というものは感じられず、事実を元に冷静で論理的な記述となっています。
アメリカの属国をやめ、真の独立国として歩むために日本人は何をすればいいのか、著者自身の考えも述べられています。軍部をコントロールしなければ民主主義は実現できないこと、アメリカとの話し合いを重ねて駐留米軍を撤退させることは可能であることなど、外国の事例を交えながら説明しています。決して、非現実的なことではありませんし、あきらめる必要はありません。
アメリカと交渉し独立を実現するには、日本国民全体の意識が高まり、議論が活発にならなければなりません。政治家任せではいけないのです。その前提となるのが、知識・情報です。本書から知識・情報を得れば視野がぐっと広がり、考えるためのヒントを得ることができます。「日米同盟堅持」を叫ぶ政治家が哀れに見えるようになればシメタものです。
2016年7月の参議院選挙前に日本国民全員が読むべき良書だと思います。
新品価格 |
以上