はじめに:
国の調査によると、2015年1月の時点で日本国民の8割以上が死刑制度に賛成しています。
反対派が少数なんですね。
私から見れば不思議な現象です。
外国から死刑制度の廃止・死刑執行停止を要請されると日本国民は感情的になってしまい、ネット上でも激しい応酬が繰り広げられます。
まずは、冷静に議論する必要があると思います。
以下に、日本国内における死刑制度賛成側・反対側双方の主な根拠・矛盾を並べます。
死刑制度賛成派の根拠
①被害者及びその親族の無念を晴らすべきだ。
→復讐したいという気持ちに応えるべき、ということですね。最高裁判所も「国民感情」という曖昧な表現を使って死刑制度を認めています。では、被害者の遺族が「死刑にしなくてもいいですよ」と申し出たら、加害者の死刑を免除しても良いのでしょうか?被害者側のその時の考え・感情によって死刑判断が左右されるというのも変ですね。
②加害者を生かしておくと再び事件を起こす可能性がある。
→刑務所に入れておけば大丈夫のはずです。そのための刑務所なのですから。終身刑の制度を導入することは可能でしょう。
➂加害者を生かしておいても社会に貢献できないんだから、殺しても構わない。
→随分と乱暴な意見ですね。では、加害者が高度な専門知識・技能などを持っていれば、死刑を免除しても構わないのですか?
④刑務所に一生収監しておいても更生の見込みが無いので税金の無駄である。
→では、加害者が億単位のお金を支払えるのであれば、死刑を免除してもOKですか?
⑤死刑制度という厳罰の存在が、他の犯罪を抑止する効果がある。
→現時点で、抑止効果は統計的に証明されていません。
死刑制度反対派の根拠
①冤罪事件が後を絶たない。
→司法制度の欠陥や警察組織の証拠捏造・自白強要により犯人に仕立て上げられてしまう悲劇が、日本では無数に起こってきました。冤罪被害を受けた人は人生を滅茶苦茶にされてしまいます。死刑を執行した後に冤罪が判明したら取り返しがつきません。
冤罪の被害者に対して泣き寝入りを強いる社会に未来はあるのか?
では仮に、冤罪が発生しない司法制度が確立されれば、死刑制度反対派は賛成派に変わるのでしょうか?
②憲法違反である。
→日本国憲法第36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と定められています。しかし、最高裁判所は「絞首刑は人命を奪う刑罰だが残虐ではない」などと述べています。絞首刑は残虐でない、違憲でないと言われても説得力が全くありません。
➂死刑制度があっても犯罪を抑止する効果が無い。
→その通りです。犯罪を抑止する目的で死刑制度を存続させるのは不合理です。統計的にも抑止効果が無いことが判っています。
私の結論→「死刑制度は廃止すべきです」
既述内容を踏まえた上で、私の考えを以下に述べます。
ひどい事件を起こした加害者は、事件を起こすべく運命付けられてこの世に生まれてきた訳ではありません。
家庭環境・教育環境も含めた社会システムの不備・欠陥により人格形成が十分になされず環境への不適応を起こしているのです。
つまり、加害者であると同時に被害者でもあるのです。
社会システムの欠陥によるしわ寄せは社会的弱者へ行き易く、特に未成年では本人の努力だけで困難を克服するのは無理でしょう。
社会に害を与える存在になった者は、その社会の欠陥・本質を映す鏡であり、社会の他の構成員と無関係ではありません。
確かに厄介者をこの世から抹殺してしまえば、社会制度や我々自身の欠陥と向き合う必要は無くなります。
しかし、「臭い物に蓋」という態度を取っている限り人間社会が進歩することはありません。
原因を究明せず議論もせず対策もせずに放置すると、同じような事件・悲劇が必ず繰り返されます。
現実を直視できない反動右翼的な政治家の言動・行動を見れば解るでしょう。
何か事件が起こった場合、本当の原因を直視した上で再発防止策を行う。
この地道な繰り返しをせずに暮らし易い社会を実現することはできません。
死刑制度への賛成は「臭い物に蓋」「厄介払い」という安易な姿勢の表れであり、人間社会の進歩にはつながりません。
時間・お金・手間がかかる検証・改善作業を積み重ね、暮らし易い社会の実現のために努力するのは国民一人一人の義務です。
この地道な作業を実行する為には、事件を起こした加害者が生きている必要があります。
殺してしまったら話をすることすら出来ません。
取り調べや裁判の記録などは情報のごく一部に過ぎないので全く不十分です。
「死刑執行」=「臭い物に蓋」の代償はとても大きく、長い目で見て人間社会に害悪をもたらすでしょう。
下リンク先の関連記事もオススメです。是非、ご一読ください。
【世論調査で8割以上の支持率!】死刑制度は本当に必要なのか?
以上