愚者は自分の失敗に学び、賢者は他人の失敗から学ぶと言われている。では、自分の失敗からも学べない者を何と表現すればいいのだろう。
今回は、福井県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅの話である。「もんじゅ」の名は仏教の文殊菩薩に由来する。
高速増殖炉は、消費した量以上の燃料を生み出すことができる「夢の原子炉」と呼ばれてきたが、研究用原子炉であるもんじゅは、長期間に渡って様々なトラブルに見舞われ、2016年12月21日に正式に廃炉が決まった。遅きに失した感がある。しかし政府は、使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクル事業を続けるため、高速実証炉の開発に着手する方針を決めた。2018年までに、そのためのロードマップを作成する予定だ。
このまま惰性で開発を続けていいものだろうか?今すべきことは、もんじゅが失敗に終わった原因の精査である。核燃料サイクル事業は現実味のあるものなのか、日本にとって必要なのかどうか公の場で議論する必要がある。
もんじゅは1994年に臨界を達成したが、1995年に、冷却剤として使用しているナトリウムの大量漏洩事故・火災を起こし、その後はほとんど停止したままの状態が続いていた。2015年11月、原子力規制委員会は、日本原子力研究開発機構にもんじゅの運転を任せるのは不適当だと判断し、別の運営主体を示すよう文部科学大臣に勧告した。しかし、それができないまま、廃炉が決定したのである。
長年に渡り我々の税金が1兆円以上投入されてきたもんじゅは、過去22年の間に稼働したのはわずか250日に過ぎず、100%の出力運転をすることは一度もなかった。1兆円と言えば、一万円札で100トン、つまり、10トントラックに一万円札を満載したものが10台分である。これだけの大金を無駄にしても日本国民は怒らないのだ。寛容というべきか?その一方で、発電で得た収入はわずか6億円に過ぎない。新しい安全基準を満たすためには、さらに8年の歳月と5400億円の費用がかかることが判明している。もんじゅの廃炉は不可避だが、廃炉自体にも30年以上の歳月と3750億円の費用を要するのだ(そもそも、廃炉を想定した設計になっていないという話もある)。なんという金食い虫だろう。施設の下には断層も走っており、地震が起これば無尽蔵の有害物質をバラ撒く恐れがある。
科学的な視点と政策的な視点からもんじゅ失敗の原因を精査することもせずに、新たな高速実証炉開発に着手するなど、愚の骨頂である。
原発から出た使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを抽出し再利用する、という核燃料サイクル事業に日本政府は長年固執してきた。もんじゅの高速増殖炉という技術は、核燃料サイクルの中核を成すものであった。もんじゅで使われてきたMOX燃料は、プルトニウムとウランの混合体であり、通常の燃料よりもはるかに多くの費用がかかる。しかし政府は、通常の原発にもMOX燃料を使用することを推し進めている。結果として、MOX使用は低いレベルに留まっている。2011年の福島原発事故以来、原発再稼働が思うように進んでいないからだ。
研究炉もんじゅが廃炉になるのに、新たな実証炉開発に必要な知見をどのように得るつもりなのだろうか?政府は、フランスとの共同プロジェクト(ASTRID)や、常陽という実験炉(高速増殖炉)から知見を得られると主張している。しかし、ASTRIDは設計段階に過ぎず、日本側の費用負担額も不明確だ。政府は公の場での説明を未だに行っていない。
莫大なお金を要する高速増殖炉の新規開発推進計画が、原子力利権者という限られた者たちだけで進めらていることも問題だ。経済産業大臣、文部科学大臣、もんじゅ運営主体である日本原子力研究開発機構のトップ、日本電気事業連合会の会長、原発メーカである三菱重工の社長が、高速増殖炉の開発委員会に名を連ねているのだ。もんじゅの失敗を公の場で議論もせずに、原発マフィアたちだけで原発政策が決められていい筈がない。
日本政府が核燃料サイクル事業に固執するのには理由がある。もしも核燃料サイクルを放棄したら、日本中の原発で使用済み核燃料が積み上がり保管場所から溢れ、原発の再稼働が不可能になるからだ。全国の電力会社がため込んだ核のゴミは、リサイクルを前提にすれば資産計上できるるが、核燃料サイクル破綻がばれると瞬時に価値のないゴミとして資産価値がゼロになってしまう。原子力村が絶対にやめないで欲しいのが「もんじゅ」なのだ。以前に行政改革を担当していた稲田大臣は、廃止に向けてリーダーシップを発揮することはなかった。下記YouTubeビデオも参照頂きたい。
青森県にある核燃料再処理施設は、技術的な問題や莫大なコストが原因で未だに完成しておらず目途も立ってない。日本の原発の使用済み核燃料は海外の施設で処理されているが、日本に送り返されてきたプルトニウムは48トンにも達しており、使う予定もない。そのため、核兵器不拡散の観点からも懸念の声が上がっている。
福島原発事故以降、それ以前の原発安全神話は通用しなくなっており、日本政府は、原発への依存を減らし再生可能エネルギーへシフトして行かざるを得ない。こんな状況で核燃料サイクル事業を推し進める理由はない。日本政府をはじめとして、説得力を持って説明できる者はいないだろう。
このまま惰性で原発政策を続けさせてはならない。原発利権者だけで情報を独占させてはならない。過去の失敗から学ぶことができないような連中に判断を任せていたら、取り返しのつかない事態を招くことになるだろう。
参考リンク:
「Review the failure of Monju」
以上