黒染め強要の差別行為が社会問題化しないのはナゼか?

出典:産経ニュース

 大阪の府立高校で生まれつきの茶髪を黒く染めるよう強要された女子生徒が、精神的苦痛を受けたとして損害賠償の訴えを起こした。この事件は、国内よりもむしろ海外のメディアが大きく取り上げた。

 厳し過ぎる校則に奇異の目が向けら、結果として、「日本は本当に先進国なのか?」という疑念を抱かせてしまったのだ。アベの言う「美しい国」というイメージが台無しだ。

 学校側は生まれつきの茶髪を認めず、無理やり黒に染めるよう強制された挙句、女子生徒の頭髪はボロボロになったという。結果として、この女子生徒は学校という場から排除されてしまったが、これは明らかな差別行為であり、憲法違反である。

日本国憲法:第13条
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

 生まれつきの茶髪は個人的な属性であり、それが公共の福祉に反するという主張はあり得ない。「生まれつきとはいえ、茶髪の生徒がいると学校の評判が下がる」と学校側は主張しているが、だからといって、生徒へ黒染めを強要してはならない。学校側がすべきことは、生徒に寄り添い、茶髪への偏見を持っている「世間」「外部組織」に対して根気強く説得を続けることである。「世間」に迎合するために、弱い立場の者の人権を侵害したら、それこそ教育上の悪影響は計り知れない。

日本国憲法:第14条
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

 2020年にオリンピックを開催し、日本社会における「多様性」をキーワードにしたいなら、様々な人種・外見の違いを乗り越える気概を見せねばならない。「外国人留学生が金髪でも黒に染めてもらう」などという妄言は、学校の評判を下げるだけだから撤回するべきだ。

 しかしながら、現実の日本社会では、多様性を尊重する土壌など存在しない。画一的で隷従的なものを好むメダカ社会は、戦後70年以上経っても揺るぎない。そうしなければ生きていけないことを若者は良く知っており、他人から強制されなくても進んで自分を殺し、他人に合わせようとする。「空気を読む」のは必須の技術なのだ。

写真(入社式の風景)

 日本社会ではこのような同調圧力が圧倒的なので、生徒から訴えられている大阪府の高校側は自信満々だ。「自分たちの校則は、世間から受け入れられているし、政治権力者も同意している。そもそも生徒の分際で自分の意見を主張するという行為が非常識であり、最終的には我々が勝つ」と思っているのだろう。憲法を順守するという公務員の義務など、全く気にする素振りもないし、自分の頭で事の善悪を判断する力もない。

 思考停止している全国の学校現場には、いまでもたくさんのブラック校則があるようだ。以下に紹介しよう。

 21世紀の先進国と言われている日本で、こんなブラック校則が大手を振っているとは驚きである。北朝鮮のことをバカにする資格はないだろう。森友学園に頼らなくても、全国の学校ですでに戦前回帰のための準備教育がなされているのである。何百万、何千万という人命と引き換えに手に入れた日本国憲法の理念など、日本人にとっては猫に小判だということが良く分かる。

 下の図を見てもらいたい。

図(各政党・政治家の立ち位置) 出典:週刊金曜日

 戦後、最低最悪と言われる自公政権が日本社会の劣化を促進しているが、これは国民のレベルが反映されているに過ぎない。アベを悪者にして、政権交代すれば済む問題ではないのだ。政治のレベルが国民よりも下ならば、政治のレベルは徐々に上がっていくが、政治のレベルが国民より上ならば、政治レベルは必ず、国民の手によって引きずり降ろされていく。無知で堕落した国民には腐り果てた政治しかあり得ないという原則は、古今東西どの国でも当てはまる。

 生まれつきの茶髪生徒に黒染めを強要する行為を社会で問題視し改善できれば、それは成功事例になるだろう。そういう成功事例を地道に積み重ねていくことが肝要だ。社会問題や政治問題の解決は政治家だけの仕事ではない。国民一人一人が日常生活の中で問題意識を持ち、各々の立場で出来ることを実践していく以外に、暮らしやすい社会を実現する方法はない。一番の敵は独裁的な権力者ではなく、無関心・無気力になった傍観者たちの沈黙である。

以上

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