原発事故は現地住民の生活をどのように破壊したのか?棄民政策は戦前から続く日本の伝統か?

 2017年3月31日に、福島原発事故による避難指示が解除された。年間20ミリシーベルト以下の地域であれば帰還してよいということだ。果たして、現地の様子はどうなっているのだろうのか?福島県飯舘村を現地取材した記事を見つけたので、その内容を紹介したい。

ジャパンタイムズの記事リンク
In Fukushima, a land where few return

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写真(除染作業で野積みされた廃棄物が飯舘村の風景を変えてしまった) 出典:KYODO

飯舘村のほとんどの地域で避難指示が解除されたが、人の姿はほとんど見られない。桜が満開でも家の中は空っぽだ。雑草が生い茂り、野生のイノシシの足跡が見られる。すでに別の地に居を構えている場合は帰還せず、古い家は取り壊すケースもある。

除染作業した場所の線量は、2011年の3月に比べかなり低くなっている。しかし、除染していない場所や、できない場所では線量が高いし、天候によって、その値は変動する。

2011年3月の福島原発爆発により放出された放射性物質は風によって流され、3月15日の夜、約45km離れた飯舘村で雨や雪と共に落下した。村民は高線量の中、何も知らずにそこに住み続け、政府が避難命令を出したのは1か月も後のことだった。

写真(飯舘村のモニタリングポスト。避難解除に先立って作られた)出典:KYODO

飯舘村の村長は、2012年の時点で、「5年以内に避難指示を解除し、この村を再生させる。」と村民に約束した。彼は一応、その約束を守ったことになる。新しい運動場、店、そして診療所もあるが、住民の姿は見当たらない。

人口6300人だった飯舘村は、かつて、日本でも有数の美しさを誇っていた。農業や牧畜が盛んだった。しかし、その面影を、現在は見ることができない。地表の多くは除染作業で剥がされ、牛も農家の姿もなく、トラクターは放置されたままだ。学校も空っぽ。唯一人がいるのは、老人ホームくらいだ。

写真(飯舘村にある閑散とした学校) 撮影:DAVID MCNEILL

飯舘村村長の弁:
「村は元通りにはならないだろう。別の方法を考えるしかない。」
「どうなるか分からないが、悲観的になっても始まらない。」
「二度と戻ってこない人たちもいるけど、故郷が無くなった訳じゃない。」

廃村するという選択肢が公の場で話し合われたことはないし、そんなこと言い出せる雰囲気ではない。2011年9月、民主党政権の大臣が「死の街」と発言した直後、辞任に追い込まれたことは記憶に新しい。

2015年9月に避難指示が解除された楢葉町は、除染を行い、新しいショッピングセンター、工場、幼稚園などを作ったものの、元の人口7400人のうち、せいぜい1500人程度しか戻ってこなかった。しかも、ほとんどが老人だ。

飯舘村に話を戻そう。除染費用は一世帯当たり2億円もかけたが、除染範囲は家の周り20メートルだけだ。飯舘村の3/4を占める森林は除染が出来ず、放射性物質が留まったままだ。風が吹けば放射性物質が舞い上がり、住宅地に降り注ぐことは避けられない。

住民の話:
「除染に大金かけても子供たちが戻ってくる訳でもないし、無駄金だよ。」

高濃度汚染地域にあえて住み続け、その結果、免疫系を損なった年配者もいる。子供が住める訳がない。

住民の話:
「かつては、自分たちで育てた野菜や畜産物を交換しながら助け合って暮らしていたが、もう望むべくもない。数百人くらい戻ってくるかもしれないが、老人ばかりだ。若者がいなければ村は存続できない。」

受け取った損害賠償金などを使い、数十キロメートル離れたところに家を買った人も多い。調査によると、帰還する意思がある人は30%にも満たないという。

住民の話:
「現状を考えると、やるせない気持ちになる。本音で話せる人が周りにいない。無理に話し合っても言い争いに終わることが多い。あいつはいくら金をもらったんだ?、みたいなことばかり考えている。欲求不満から他人につらく当たってしまい、そんな自分がイヤになる。」

飯舘村の村長の話
「原発事故以来、怒りと悲しみに暮れる住民と、政府・東電の間に入って調整してきた。政府は除染作業は終わったと言っているが、私としては足りないと思っているし、道路やインフラ整備の資金も必要だ。補償金で暮らす生活も、期間が長くなると抜け出せなくなってしまうので、そろそろ潮時かな。住民の帰還については、強制しているという印象を与えたくない。復興予算を使って、観光を盛んにしたい。避難解除はスタートに過ぎない。放射能の健康への悪影響については、考えは人それぞれだと思う。」

避難解除された地域に住んでいた数千人の住民たちは、来年、補償金の支給が打ち切られる。そのお金で、避難先の生活をしのいできたのだ。

今村前復興大臣の「自己責任」発言は、多くの住民の怒りを買った。お金という弱みを利用して、高線量地域へ強制帰還させる意図を感じたからだ。棄民政策と言ってもよい。

住民の話:
「政府は、原発事故が起こっても乗り越えられるということを示したいんだろう。全国の原発を再稼働するための環境整備だな。」

住民の話:
「村長への信頼は失われている。事故当時、彼は、高線量の数値を何とかして隠そうと躍起になっていたんだ。村長が会合を呼びかけても、参加者はわずかだ。会合を開いたという事実を作るためだけの会合さ。村長は村を救おうとしているが、実際は逆効果になっていると思う。」

写真:汚染土を詰めたフレコンバック(飯舘村)出典:KYODO


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 以上の記事を読んで、どう感じただろうか?私の感想は以下の通り。

・物理的な住環境だけでなく、人とのつながりなど精神面もズタズタにされた。
・放射性物質という目に見えない悪魔は、人々の生活を再起不能にする。
・「避難解除されて良かった、良かった」という、政府とマスコミの演出はウソである。現場に行き、現地の人に直接話を訊かないと、本当のことは分からない。

 次写真のような発言をする政治家に対して、飯舘村の人々は殺意を抱いたことだろう。

 現地の人は、下のような能天気で無責任な発言をする総理大臣に不信感を抱いただろう。

写真(福島原発事故により大量の放射性物質が放出されたが、健康問題は発生しないと安倍総理は断言した。)

 福島原発事故では責任者が誰一人として裁かれていないのは驚くべき事実だ。その一方で、賠償・廃炉のために電気料金が引き上げられても、国民はあっさり受け入れてしまっている。

写真(強制起訴される東京電力元幹部3人)

最後に:
 日本の権力層は戦前から、自己中心的で無教養の人間で占められてきた。国民の政治的無関心も手伝って、この「伝統」は現代までしっかり受け継がれてきている。権力層にとって国民は消耗品でしかなく、自分たちの権益を守るための道具でしかない。権力者にはいち早く危険情報が届き、自分たちは安全な場所でのうのうと暮らし、その一方で、国民を危険地帯に放置する(戦地では死亡の最大原因は餓死であった)。危険情報を隠ぺいした結果責任は問われず、説明責任すら放棄し逃げ回る。そしてその醜態を、国民は、低い投票率、もしくは惰性の投票行動で承認し続けている。

 日本国民の悲劇は、まだ当分続きそうである。

以上

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