冒頭の写真左側は、読売新聞と産経新聞が掲載した意見広告です。大きな目玉が印象的です。安保法制やそれに関連する政治の動きに批判的発言をしている岸井成格氏に対して、放送法違反だと非難しています。
岸井成格氏は本当に、放送法違反と言われるような行為を行ったのでしょうか?少し考えてみたいと思います。
まずは日本国憲法の第21条を以下に記します。
1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
表現が不自由な社会では民主主義が成り立ちませんから、非常に重要な条文です。統治権力側はこの第21条の理念を遵守しつつ、放送法を制定しました。それでは、放送法の第1条を以下に記します。
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
第一条の2項を解り易く言い換えると、「特定の政党や権力者が、事実の隠蔽・歪曲をするために放送事業者へ圧力をかけてはならない」、となります。放送事業者ではなく統治権力に対する牽制といえます。
続いて、放送法第3条と4条を記します。
(放送番組編集の自由)
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
「圧倒的に強い権力をもつ与党だけでなく、野党の反対意見も取り上げること」「権力側にとって都合の悪い事実であっても、きちんと取り上げること」、と解釈できます。
従って、立憲主義や民主主義を破壊する安保法制関連の動きを厳しく批判している岸井成格氏の報道姿勢は極めてまっとうなものです。放送法違反ではありません。
しかし、安倍政権にとって岸井成格氏の存在はとても目障りです。テレビは大衆の意見形成に大きな影響力をもっているので、岸井氏をこのまま放置しておくと安倍政権の支持率が下がる恐れがあります。政治的無関心層に問題意識を持たせ、投票率が上がってしまうかもしれません。2016年には国政選挙が予定されており、安倍政権はとても神経質になっているのです。
実質的には脆弱な権力基盤しかもたない安倍政権は、苦し紛れに放送法4条を次のように解釈することにしました。
「総務大臣は放送局に対して行政指導する権限があることを、放送法は認めている」
実際に2015年11月10日の衆議院予算委員会で、高市総務相と安倍晋三首相は、上記のように解釈していることを明らかにしています。しかし、この解釈は間違っています。なぜならば、仮に正しいとすれば、放送法自体が日本国憲法第21条に違反していることになるからです。
もう一度、日本国憲法第21条を記します。
1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
放送法は、この理念に沿うように制定されており、違憲の法律ではありません。従って、高市総務相と安倍晋三首相の放送法解釈は間違っています。「総務大臣は放送局に対して行政指導する権限があることを、放送法は認めている」という間違った解釈を根拠にして、様々な報道圧力を安倍政権は繰り返してきました。冒頭写真の意見広告はその一環です。
別に難しい理屈ではありません。安倍政権から報道圧力を受けている大手メディアは、当然、安倍政権の放送法違反行為を理解しているのですが、なぜか抗議をしようとしません。いくらサラリーマン経営者とはいえ、ジャーナリストとしての矜持をカケラも持っていないのは情けない限りです。自分たちはただの情報産業です、と認めているようなものです。独裁政権の意に沿わない報道を避けているならば存在価値はありません。
参考リンク:
私達は、政治家に対し「放送法」の遵守を求めます!!(報道への介入をやめて下さい)
以上
コメント
岸井氏の發言の何が問題になったか。「(安全保障関連法案には)メディアとしても反対して行くべきだ」注目すべきは、私はこれからも反対するではなく、メディアとしてと發言してゐる點。放送法には次の樣な條文が有ります。
放送法第一條二項 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
何故之を記事に書かれないのですか?何が問題になってゐるか詳しく述べた上で論理を展開しなければ讀者を誘導してゐるのではないかとの批判も受けると思ひます。また憲法により保障せられる言論の自由は何を放言しても罰せられない事を意味しません。責任を伴ふのが自由です。責任を伴はぬのは單なる放恣放縱であります。
表現の自由を守れ!
かつて東条英機内閣が言論・出版・集会・結社等臨時取締法を制定して政治的自由を圧殺したように、日本がファシズム体制へ進む危機的状況であると思います。メディアは良心に照らして国民とともに団結して声をあげなければならないと思います。
ジョージ・オーウェルといえば「1984」でしょうね。今では村上春樹の「1Q84」の方が有名かもしれませんが、書かれた当時からすれば「未来」の世界が対抗する3つのグループに分割され、言論の自由は封じ込められ、市民は「家畜」のように飼いならされているというSF小説だったと思います。今の日本と世界を眺めれば、決してSFでは済まされないですね。