【相模原の障がい者大量殺害事件】被害者たちの実名を報道しないのはナゼか?

写真(津久井やまゆり園での事件を取材する記者たち)

写真(津久井やまゆり園での事件を取材する記者たち)

 2016年7月26日に神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった大量殺害事件については、様々な報道がされた。しかし、容疑者個人の特殊性や措置入院制度の運用など、事件を矮小化するだけのものも多い。日本人や日本社会に潜む深刻な病巣、障がい者への差別意識という観点からのものはほとんどない。

 そんな中で私が違和感を持ったのが、被害者たちの実名を一切報道しなかったということだ。2016年7月26日、神奈川県警の担当者は次のように述べている。

「実名報道が基本、ということは承知している」
「遺族が氏名を出したくないという意見を持っている」
「被害者が障がい者であり、事件現場となった施設も特異なもの。家族の意思もあり、非公表という判断をした」

 被害者の匿名報道自体がすべて悪という訳ではない。どうしても必要な場合もあろう。今回は、遺族の意思を尊重し、マスコミは一様に実名報道を控えている。殺人事件の被害者の場合は実名報道が基本なので、かなり異例な対応といえる。従来ならば、家族の意思などお構いなしに実名報道をしていたのに、今回は、なぜか匿名報道である。理由としては、上記警察の発表にもあるように、「被害者が障がい者であり、事件現場となった施設も特異なもの」だからである。

 つまり、被害者が健常者であり、障がい者がいない場所が事件現場であれば実名報道されていたのである。同じ被害者であっても、障がい者と健常者で扱いが違う。これは明らかに、根強い差別感情の表れではないか?

 次のような原則論が存在する。

「新聞記事の正確性・説得力を読者(視聴者)に伝えるためには実名報道が不可欠である」
「固有名詞を欠いた記述は後々の検証が極めて困難で、歴史、記録としての価値が損なわれている」

 障がい者という理由で匿名報道にするならば、障がい者の存在価値を認めていないと受け取れる。警察の担当者、「協力」しているマスコミ、そして、それを素直に受け取る読者は、自分たちの無意識下に差別感情がないかどうか考えてみるべきだろう。

 誠に残念だが、障がい者に対する差別は日本社会に厳然として存在する。しかも、人口のかなり多くの割合である。「自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べる」という副題が付いたブログで、「重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」というタイトルの記事を見つけた。以下にリンクを貼る。

「重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」

 上記リンク先の記事から一部を引用する。

引用始め
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考えてみてほしい。知的障害者を生かしていて何の得があるか?まともな仕事もできない、そもそも自分だけで生活することができない。もちろん愛国者であるはずがない。日本が普通の国になったとしても敵と戦うことができるわけがない。せいぜい自爆テロ要員としてしか使えないのではないだろうか?つまり平時においては金食い虫である。

 この施設では149人の障害者に対し、職員が164人もいる。これではいくら職員を薄給でき使わせたところで採算が取れるはずもない。そんな状況では国民の税金が無駄に使われるのがオチである。無駄な福祉費を使わなくて済ませることが国家に対する重大な貢献となる。だからこそ植松が言うように障害者はいなくなるべきなのである。
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引用終わり

 このような暴論に賛同する者は、特に安倍政権の支持者に多い。この暴論は、自民党の憲法改正草案の人権否定思想と相通ずる。戦後70年以上経っても、日本社会の根本部分は何も進歩していないのではないか?

 日本では戦前・戦中、障がい者は抹殺されるべき対象であった。「障害者は足手まといになる」、「障害のある子供は有事の時に邪魔になるから殺せ」、「国家の米食い虫」、・・・数々の心無い暴言に晒されてきたのだ。この暗黒時代に回帰したがっている安倍政権を支持する有権者は、間違いなく障がい者たちを殺す側である。

 障がい者抹殺論にどうしても賛同してしまう人は、下リンク先の記事もぜひ参照してほしい。障がい者抹殺思想は、健常者自身の首をも絞めることにつながることが解るだろう。

【障がい者に冷たい社会:日本】愚劣な教育委員の暴言について考える。

上リンク先記事から一部引用する。

「例え健常者として生まれてきても、生きていく過程で怪我や事故に遭い、体が不自由になることもあります。怪我や事故が無くても、成人してから統合失調症になる場合があります。経済的徴兵制で戦地に派遣され、障がい者として帰還する可能性もあります。原発事故による放射性物質拡散は、様々な疾病を引き起こします。運よく健康体で過ごせたとしても、年を取れば誰でも体が不自由になります。死ぬ前には誰でも他人の助けが必要になります。

 つまり、健常者といえども、いつ、障がい者になるか分からないのです。他人事だと考えてはならないのです。」

「どんな社会でもその本質を知りたければ、社会的に立場の弱い人に話をきくのが一番確実です。障がい者が安心して暮らせる社会は健常者にとっても快適です。障がい者を抹殺しようとする風潮が強い社会は、健常者も安心して暮らせず、気の休まる暇がありません。障がい者に配慮された社会システムは、結果として、健常者をも助けることにつながります。」

最後に:
殺された多数の障がい者たちを実名報道しないのは、良心に基づいた行動に見えてしまうかもしれない。「こんなことに目くじらを立てる方がおかしい」と言う人もいるだろう。しかし、一見なんでもないことに、根深い差別感情が表れているのだ。

 差別は障がい者に対するものだけではない。病人・老人・女性・子供・性的マイノリティ・生活保護受給者・問題意識を持ち権力に従順でない者・・・・ いつのまにか自分が選別され殺される側にされる可能性がある。

 見て見ぬふりをせず、常に問題意識を高めておきたい。

以上

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