政治家やマスコミが言いにくいことを、敢えて並べてみた。有権者にとって耳が痛い名言を紹介。

 公明党は、平成の治安維持法というべき共謀罪法案を成立させるため、恥も外聞もなく自民党に協力し続けた。法案の中身も理解せず、意味不明の答弁を繰り返してきた金田法務大臣に対しては問責決議案が出されたが、それに対する反対演説で次のように述べたのだ。

「金田法務大臣は昨年8月に大臣に就任して以来、誠実かつ真摯な答弁を行うなど国民のために尽くしてこられました。」
「本法案では犯罪主体について、組織的犯罪集団に限定されている以上、これと関わりのない一般の方々に犯罪の嫌疑が発生する余地はなく、捜査の対象になることは考えられません。」
「この法案を、共謀罪と呼び、現代の治安維持法、一億総監視社会などと、偏った認識をもとにした発言や、事実に基づかないプロパガンダで国民を欺くことが断じて許されるわけではありません。」
(公明党:佐々木さやか議員)

写真(公明党の佐々木さやか議員)

 問題意識がある、小うるさい市民を抹殺したがっている安倍総理は、この演説を聞いて嬉し涙を流しただろう。賛同し拍手をした議員は万死に値する。

 公明党の母体である創価学会創始者の牧口会長と戸田会長は戦時中、治安維持法で投獄され、牧口会長は獄中死している。その治安維持法を、金田法相は正しいと答弁した。歴史に学べない大臣を公明党議員が擁護する理由は何だろうか?心ある創価学会員なら、安倍政権に際限なくすり寄る公明党に断固抗議するべきではないか?

このような状況を、小説家の星野智幸氏が次のように表現していた。

「公明党っていうのは、日本社会の象徴だね。政策や倫理ではなく、世の大勢であるほうにつくことで生き延び、優位に立とうする。この社会のマジョリティは、だいたいそんな生き方をしている。だから、他人の暴力や、それを許容する行政を、自分に降りかかってこない限り、黙認する。強い側につきたがる。」(ツイッターより)

 なかなか鋭い分析である。思考停止して、空気を読むことばかりに腐心してきた有権者が社会を劣化させたのである。自分の考えに基づいて、自分の責任で行動しようとせず、権力者の意向ばかりを忖度する国民が、愚かな政治家を大量生産してきたのだ。前川喜平さんや詩織さんのような人物は、まだまだ少数派だ。

 本来ならば、この冷厳な事実を政治家やマスコミはドンドン指摘していいはずだ。しかし、そんなことは決して言わない。有権者のご機嫌を損ねれば、選挙で落選するかもしれないし、視聴者を不愉快にすれば、スポンサーが付かなくなる。要するに、彼らにとって死活問題なのだ。

 しかし、この記事ではあえて、有権者・国民にとって耳が痛いことを書いてみたいと思う。以下、参考になれば幸いだ。

1)
「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」
(出典:「スマイルズの『自助論』エッセンス版」P17)

2)
「日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しくしあわせに暮らせるように、あなた達凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。」
「そういう特権階級の人達が、あなた達に何を望んでいるか知っている?今のままずーっと愚かでいてくれれば良いの。世の中の仕組みや、不公平なんかに気付かず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、戦争が始まったら真っ先に危険な所に行って戦ってくれば良いの。」
(出典:テレビドラマ、女王の教室)

写真(ドラマ「女王の教室」の一節)

3)
「仮に、二人が、三人が、あるいは四人が、一人を相手にして勝てなかったとして、それはおかしなことだが、まだ有りうることだろう。その場合は、気概が足りなかったからだと言うことができる。だが、百人が、千人が、一人の圧制者のなすがまま、じっと我慢しているような時、それは、彼らがその者の圧制に反抗する勇気がないのではなく、圧制に反抗することを望んでいないからだと言えまいか」
「これは(支配者に人々が隷従していること)、どれほど異様な悪徳だろうか。臆病と呼ばれるにも値せず、それふさわしい卑しい名がみあたらない悪徳、自然がそんなものを作った覚えはないと言い、ことばが名づけるのを拒むような悪徳とは。」
「信じられないことに、民衆は、隷従するやいなや、自由を余りにも突然に、あまりにも甚だしく忘却してしまうので、もはや再び目覚めてそれを取り戻すことができなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ、とさえ言いたくなるほどである。」
「先の人々(生まれながらにして首に軛を付けられている人々)は、自分たちはずっと隷従してきたし、父祖たちもまたその様に生きて来たという。彼らは、自分たちが悪を辛抱するように定められていると考えており、これまでの例によってその様に信じ込まされている。こうして彼らは、自らの手で、長い時間をかけて、自分たちに暴虐を働く者の支配を基礎づけているのである。」
「それにしても、なんと言うことか、自由を得るためにはただそれを欲しさえすればよいのに、その意志があるだけでよいのに、世の中には、それでもなお高くつきすぎると考える国民が存在するとは。」
「隷従する者達は、戦う勇気のみならず、他のあらゆる事柄においても活力を喪失し、心は卑屈で無気力になってしまっているので、偉業を成し遂げることなどさらさら出来ない。圧制者共はこのことをよく知っており、自分のしもべたちがこのような習性を身につけているのを目にするや、彼らをますます惰弱にするための助力を惜しまないのである。」
(出典:フランス人のエティエンヌ・ド・ラ・ボエシが書いた「自発的隷従論」)

4)
「問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。」
「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。」
「確かに、服従することは、安易な道である。しかし、道徳的な道ではない、臆病者の道だ。」
「圧制者の方から自由を自発的に与えられることは決してない。しいたげられている人間の方から要求しなくてはならないのだ。」
「最後には、我々は敵の言葉など思い出すことはない。思い出すのは友人の沈黙である。」
(出典:キング牧師の歴史的名言)

5)
「敵を恐れるな-かれらは君を殺すのが関の山だ。友を恐れるな-かれらは君を裏切るのが関の山だ。無関心な人々を恐れよ-かれらは殺しも裏切りもしない。だがかれらの沈黙の同意があればこそ、地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。」
(ブルーノ・ヤセンスキー「無関心な人々の共謀」/江川卓・工藤幸雄訳)

6)
「何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、 それで自分たちにとっての良い社会、 良い暮らしを求めることは不可能です」
(ネルソン・マンデラ)

7)
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だますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまったくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
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(出典:映画監督・脚本家として活躍した伊丹万作氏が、『映画春秋』創刊号(昭和二十一年八月)に「戦争責任者の問題」と題して書いた文章より引用。)

最後に:
 周りの空気を読むのではなく、自ら空気を作り出す国民がドンドン増えて欲しいと思う。上の意向を忖度するばかりでなく、敢えて悪者になれる人が増えて欲しいと思う。成熟した民主主義国家の土壌は、そのように作られていくものではないだろうか。有権者意識が薄い現状のままでは、どんな立派な憲法や法律も猫に小判だ。逆に、独裁願望を隠せない悪徳権力者が、粗悪な法律を濫造していくことであろう。

以上

コメント

  1. ミデイ より:

    共謀罪をまともに議論させなかった民進党に問題あり。まず、テロ等準備罪といいながらテロの定義をしていない。
    テロとは組織的に破壊行為や毒物を使い一般市民に甚大な影響を与えること
    これを防ぐ目的でテロ等準備罪がつくられた。著作権法は画像に犯罪組織への勧誘を目的とした洗脳、競馬場は爆発物など設置の下見、森林法は森林火災やダムに毒物混入やダム破壊などが取締対象となる。やはり、共謀罪は必要不可欠。

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