気持ち悪い(?)ポスター
2017年、冒頭のポスターが街中で多数目撃された。
ネット上でも物議を醸したのをご存じだろうか。
「葬式用の写真か?」
「不気味」
「怖い」
など、評判は散々・・
このポスターが気持ち悪く感じられる理由を考えてみよう。
前提の確認:学校教育の目的とは?
学校教育の目的の一つは、健全な批判能力を養うことである。
健全な批判能力とは、弱いものをイジメるということではない。
自分より権力がある者の行動や発言を監視し、必要とあらば冷静に批判する勇気を持つということだ。
上役の言うことは何でも素直に受け入れ、議論もせず、他人の目を気にして空気ばかりを読もうとする人間には、社会を進歩させる力はなく、逆に腐敗と堕落をもたらす。
自国の美しい部分ばかりに目が行き、歴史上の過ちから目をそむける人間は、同じ過ちを何度でも繰り返す。
過去の政治権力者たちの所業は腐敗と失敗の歴史であり、批判の対象と捉えるのが正しい姿勢である。
批判的思考とは、高度に知的な営みであり、価値ある態度なのだ。
歴史・社会・政治などを教える立場の先生は、事実に基づいて権力者たちを冷静に分析・批判する能力が求められるし、生徒にも批判的な見方を指導しなければならない。
単に知識を授けて、覚えたかどうかチェックするだけならば教育者としての役割を果たしたことにはならない。
教育者は、政治的に「中立」であろうとするあまり生徒を無気力にするような授業をしてはならない。
喜ぶのは悪徳権力者だけである。
背景:学校教育への政治権力介入
権力者は、教育機関を大衆洗脳のための道具として活用する誘惑に常にさらされている。
教科書から都合の悪い事実をすべて削除したい。
生徒が授業中に議論したり意思表示する機会を奪いたい。
中央集権的な官僚システムによって、教師を思う通りにコントロールしたい願望に駆られている。
問題意識のある教師には圧力をかけ、言うことを聞かなければ駆逐の対象とする。
古今東西、権力者と名のつく者が考えることは同じ。
教師たちは政治的な意識を強く持ち、教育現場へ権力者が介入することに抵抗し続けなければならない。
当時の安倍政権は、掲げる政策の良し悪し以前に、法的な枠組みを破壊し国家の土台を崩していた。
まさに、戦後最低最悪の内閣であった。安保法制の成立過程を振り返れば、誰でも納得するはずだ。
関連記事リンク:
「安保法制成立までに用いられてきた反則技、劣悪政治家たちの暴言、及び、伊藤真弁護士の親切解説を紹介」
その当時、安倍内閣を批判しない教師が日本の学校にいたのだろうか?
もしいたら、その人は職務怠慢だと言わざるを得ない。
生徒の知的好奇心を衰退させ、無気力で政治的無関心な有権者を作り出す結果をもたらすものであり、罪でもある。
しかし実際には、安倍内閣を批判するような教師はまれであり、もし批判していることが判明したら処分の対象になっていた。
実力・自身のない政治家ほど、弱者を力でねじ伏せようとする。
強圧的な態度は、弱さの裏返しである。
事例紹介:奴隷養成教育の「成果」
2016年7月、神奈川県相模原市のやまゆり園で、無抵抗な障がい者の大量殺戮事件が起こった。
容疑者は、安倍総理などの反動政治権力者に媚びる態度を見せていたという。
強いものには素直に従い、自分より弱い者に刃を向けるとは卑劣極まりないが、長年に渡る学校教育の「成果」と言えるだろう。
この容疑者に共感するものは皆、劣悪な日本の教育による被害者である。
初めの主張を繰り返す。
学校教育の目的の一つは、健全な批判能力を養うことである。
健全な批判能力とは、弱いものをイジメるということではない。
自分より権力がある者の行動や発言を監視し、必要とあらば冷静に批判する勇気を持つということだ。
何の問題意識もなく素直に日の丸を掲揚し、君が代を斉唱しても、社会は良くならない。
悪徳権力者が「しめしめ・・」と薄ら笑いを浮かべるだけだ。
無気力で知的に怠惰な人間が大量に生み出されるような学校教育を放置していたら、日本は再び戦前の過ちを繰り返すことになるだろう。
このポスターが気持ち悪い理由:
このポスターが気持ち悪い原因が分かっただろうか?
「私、日本人でよかった」
「誇りを胸に日の丸を掲げよう」。
もっともらしい言葉の裏には、「ツベコベ言わずに大人しく従え!」というファシストの本音が隠れている。
反動極右勢力による愛国心推進プロパガンダは、大衆の感情面に訴えかけることが多く、非常に胡散臭い。
下記リンク先の記事も参照して警戒を強めて欲しい。
「愛国心」という言葉を使う政治家を信用してはならない。その理由とは?
安倍政権が多用する悪質なプロパガンダ事例を紹介します。気をつけないと日本国民はすぐにダマされる。
以上