安倍内閣の閣僚はほとんど全員が教育勅語の信奉者だ!教育勅語がなぜ憲法違反なのか解説する。

写真(松野文部科学大臣の記者会見)

 2017年3月14日付の朝日新聞記事によると、安倍内閣の松野博一文部科学相は、戦前・戦中の教育勅語について、憲法や教育基本法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」との見解を示したという。今回は、教育勅語がなぜ憲法違反で、犯罪的な遺物なのか解説する。

 戦前に教育を受けた者は、教育勅語を骨の髄まで染みるように徹底的に叩き込まれたという。以下に、教育勅語を現代語訳したものの一例を示す。

 明治23年に発布された教育勅語の特徴は以下の4点である。

・代々の天皇家はみな立派な人格者揃いであったという荒唐無稽な作り話によって、天皇を権威付けしている。
・大昔から日本人は天皇に忠誠を尽くしてきたという歴史改竄が行われている(明治以前、日本人は天皇の存在すら知らなかった)。
・封建的でカビの生えた家父長制・上意下達の徹底
・天皇を崇拝し、盲目的に隷従し、いざとなったら天皇のために命を投げ出すことを強要している。

 教育勅語は、すべての国民は個人として尊重されなければならないという日本国憲法の精神に明らかに反する。戦後に廃止されたのは当然である。

 以下の文献も参考にして頂きたい。ネトウヨを発狂させている秀作だ。

マンガ 日本人と天皇

 今でもそうだが、戦前の日本人も健全な批判能力とは無縁であり、教育勅語の押し付けに易々と屈してしまった。その結果が、無謀な戦争への突入であり、国内外に無数の犠牲者を生むこととなった。無能な指導者を諫めて、間違いを止めるという基本的能力を欠いていたのである。

 問題意識の低い怠惰な国民が無能な政治的指導者を多数生み出し、その結果、自滅したのである。残酷な言い方だが、これが事実である。無数の日本の若者が前線で餓死させられても、その事実を見ようとしない。お国のために命を捧げたのだから靖国神社に英霊として祀る、という行為はゴマカシであり、歴史的事実から学ぼうとする人間がすることではない。諸外国に対して侵略戦争を行ったことも認めようとしない。「八紘一宇」(世界中を天皇の支配下に置くこと)を掲げて、正しいことをしたんだと、平成時代に入っても言い張っている。外交能力などというものは日本には無縁なのだ。

 教育勅語は決して昔話ではなく、現代に生きる日本人の中で、その精神は強力に息づいている。目に見えないので普段意識していないだけだ。自分の考えを持たず、周りの空気ばかりを読んで、出る杭になることを恐れ、長いものに巻かれることを好む。権威的なるものに無批判に追従する奴隷根性は、戦後から70年以上経ってますます強化されているように見える。原発政策、安保法制、共謀罪、長時間残業による過労死・・・。事例を挙げればキリがない。

 教育勅語の精神を尊重するということは、自立した人間としての尊厳を捨てることに等しい。非理性的で、安易で、堕落した態度なのだ。進歩の対義語である反動という言葉がふさわしい。

 支配する側の1%にとっては、国民がみな教育勅語に毒されている状態が理想だろう。財産だけでなく命も惜しげなく差し出して権力者を支えてくれるのだから、こんなに有難いことは無い。安倍政権の文部科学大臣が教室で使用することを拒否できないのは当然だ。稲田防衛大臣は、教育勅語復活に大賛成だ。

写真(教育勅語を取り戻すべきと発言する稲田防衛大臣)

 安倍内閣の閣僚はほとんど全員、教育勅語の信奉者だと判断して間違いない。

図(第三次安倍再改造内閣)

写真(教育勅語を唱和させられる塚本幼稚園の園児たち)

 最近話題の塚本幼稚園における教育勅語強制は、愚かな支配階層の妄想を具現化したものだ。日本語も満足に話せない幼稚園児に教育勅語の原文を暗唱させて何の意味があるのか疑問だが、支配階層の自己満足に過ぎまい。いきなり、大学で教育勅語を教えようとしても反発されることが分かっているから、抵抗が少ない幼稚園でコソコソと始めたのだろう。反動右翼というのはどこまでも姑息である。次なる夢は、小学校での実践らしい。

 繰り返しになるが、教育勅語の害毒は決して大昔だけに存在したのではない。塚本幼稚園という閉鎖空間で幼児たちが唱和させられているだけではないのだ。その精神は、現代日本人の無意識下に沁み込んでおり、無数の不幸を生み出す源泉となっている。

以上

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