今回は、元京都大学原子炉実験所助教:小出裕章氏からのビデオメッセージを紹介いたします。
小出氏は原子力発電に反対し、一貫して「原子力をやめることに役に立つ研究」を行なってきた反骨の研究者です。
「未来を担う子どもたちへ」 小出裕章氏よりのメッセージ(11分36秒)
以下は、ビデオメッセージの書き起こしです。人間としての真摯な姿勢が伝わってきます。
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2014年3月になりました。
ちょうど福島原子力発電所で事故が起きてから、丸三年になろうとしています。
この間、私は毎日を戦争のように過ごしてきましたし、振り返ってみると「あっ」という間の出来事でした。
ただ、三年たったのにも関わらず、事故は全く収束していません。
未だに放射性物質が、福島第一原子力発電所の敷地から、空へ海へ流れて行ってしまっていますし、敷地の中では、沢山の労働者たちそれも東京電力の社員ではない、下請け、孫請け、そのまた下請け、八次、九次、十次と続くような下請け関係と聞いていますが、最低賃金すら貰えないような労働者たちが、放射能と向き合って、事故をなんとか収束させようと苦闘を続けています。
しかし、残念ながら、事故を収束させるまでには、あと何年かかるんだろうか、何十年かかるんだろうか、あるいは、何百年だろうか、と思うようなことが今現在も続いています。
そして、敷地の外では、十万人を超えるような人たちが、故郷、生活を、全て奪われて、流浪化してしまう、ということになっていますし、その周辺にも、汚染地帯が広がっていて、この日本という国がもし、法治国家だというのであれば、放射線の管理区域に指定して、一般の人たちの立ち入りを禁じなければいけない、というところが、おそらく1万4千平方kmほど広がってしまっています。
東北地方と、関東地方の広大なところを、もし法律を守るというなら、無人にしなければいけないほどの汚染なのですが、今現在、数百万人もの人々、子どもも赤ん坊も含めて、そういう場所に棄てられてしまっています。
私のような、放射能を相手にして給料をもらっている、放射線業務従事者という人間、そして大人であれば、まだ、そういう所で生きるという選択はあると思いますけれども、今回の事故を引き起こしたことに何の責任もない子どもたち、そして、被ばくに対して大変敏感な子どもたちが、今現在も汚染地帯の中で、被ばくをしながら生活しています。
それを思うと、何とも無念ですし、3年間、いったい何ができただろうかと、自分の無力さが情けなく思います。
しかし、これからもまだまだ、この状況が続いていくわけで、「今、私たちに何が出来るか」ということは、やはり考えなければいけないと思います。
私が何よりもやりたい事は、子どもたちの被ばくを少しでも少なくするということです。
そのために一番良い方策は、子どもたち、あるいは大人も含めてですけれども、汚染地帯から避難させるということです。
ただ、人間というのは、皆それぞれの土地で、それぞれ周りの人たちと一緒に生活を送ってきました。
簡単に「避難」という言葉を使ってみても、なかなかできないし、やったところで、ものすごい苦難を受ける事になると思います。
本来であれば、この事故を引き起こしたことに責任のある東京電力、あるいは日本の国家が、人々をコミュニティごと、どこかに移住させるということを、私はやるべきだと思いますし、これからもそれを求めていきたいと思います。
しかし今現在、日本の国、自民党という政権がまた返り咲いたのですが、その政権は、これからも原子力を進めると宣言していますし、そのためには「福島の事故を忘れさせてしまおう」と言う作戦に、出てきています。
そういう日本の政権が、人々をコミュニティごと逃がすというような選択は、おそらく、ありえないと思います。
残念ですけれども、多分できないだろうと、私は思います。
それならどうするか、という事ですけれども、子どもたちを、ある一定の期間でもいいので、疎開させる。
夏の一月でも良い、春の一週間でも良い、放射能の汚染の少しでも少ない場所に移して、そこで泥んこまみれになって、遊べるようにする。
草の上に寝そべっても良いと、いうような環境を、子どもたちに準備をすると、いうことが必要だと思います。
そのことは今、日本の中でも、沢山の人たちがそれをやってくれて、これまでも、やってくれてきましたし、これからも、やってくれると思いますし、海外からも、そういう支援の手がすでに伸びていますので、少しでも多くの子どもたちを、放射能から遠ざけて、そして、子どもらしく遊ばせるということをやりたいと思います。
でも、それも、まだまだ限られたことでしかありませんし、やはり子どもたちを含めて、汚染地帯で生きざるを得ない状況は、これからも続きますので、次にやるべきことは、汚染地帯の中で、特に強く汚染している場所が、あちこちにあります。
ホットスポットとかマイクロスポットという場所が、平均的に言えば、あまり汚染の強くない地域にも、そういう場所が存在していますし、子どもたちが、そういう場所で遊んでいる事だってあるだろうと思います。
どんな場所がどれだけ汚れているか、という事を丹念に調べていって、子どもたちが時を過ごすような場所からは、汚染を除去するということが必要です。
今、日本では「除染」という言葉が使われて、「除染をすれば環境がきれいになる」というような幻想がふりまかれています。
けれども、残念ながら、除染はできません。
私たちが「汚れ」と呼んでいる物の正体は、放射能です。
放射能は人間がどんなに手を加えても、消すことが出来ないのです。
除染など、決してできません。
でも、子どもたちが放射能に触れてしまうのであれば、その放射能をとにかく、どこかに移す。
子どもたちの場所から移す、ということが必要だろうと思います。
つまり、放射能を除くのではなく移動させる。
私はそのため「移染」という言葉を使っていますが、子どもたちの場所から、とにかく放射能を移染するということを、汚染地帯もそうですし、汚染が少ないと安心しいている場所でも、ホットスポット、マイクロスポットはありますので、移染という作業をしてほしいと願います。
次に重要な事は、食べ物です。
今現在、東北地方を中心にした食べ物が、汚染されています。
日本の国は1kgあたり100ベクレル以下なら、安全であるかのように言って、何の規制もないまま、食べ物を流通機構に乗せてしまっています。
しかし、この日本の国で、普通の食べ物は、福島の事故がある前は、1kgあたり0.1ベクレル程度しか汚れてなかったのです。
1kgあたり100ベクレルというのは、事故前の千倍もの汚染を、安全だと言って、市場に出回らさせるということになってしまうわけです。
そんなことは、到底、私は許せないと思いますし、特に、そんな汚染のものを子どもたちに食べさせるという事は、許せないと思います。
子どもたちが、食べる食べ物、たとえば学校給食というようなものは、徹底的に汚染の少ないものを調べて、子どもたちに回す、ということを、 私はやりたいと思います。
そのためには、もちろん日本の国家が、本当は動かなければいけないのですけれども、残念ながら、今、この日本の国家は、でたらめな国家ですので、 子どもたちの学校給食を司っている、それぞれの自治体がやはり、立ち上がって、子どもたちを守る、ということをやって欲しいと思います。
最後に、若い人たちに一言、お詫びを申し上げたいと思います。
私は大きな事故が起きる前に、原子力発電所を止めたいと思って生きてきましたけれども、残念ながら、私の願いは、届きませんでした。
大きな事故が起きてしまって、日本中、あるいは世界中に放射能汚染が広がってしまいました。
私には時間を元に戻す力がありませんので、この汚れた世界で生きるしかありません。
ただ、私はもう、あと10年20年で死んでしまうと思いますけれども、若い人たち、これから人生を刻んでいく人たちに対しては、誠に申し訳ない事だと思います。
皆さんが大きくなって、大人になった時に、福島の事故を防げなかった責任というものを、多分私たちの世代に問うだろうと思います。
問われて仕方のない事を、私たちの世代がやったわけですし、まずはお詫びをしたいと思いますし、残りの人生で何が出来るかということを考えながら、私は生きたいと思いますし、将来の皆さんから、どうやってお前は生きてきたか、と問われたときに、私なりに出来る事はやったと、いうように、答えたいと思います。
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今回のような記事を書くと、次のようなコメントを頂くことが多いです。
「陰謀論だ」
「風評被害になる。削除しろ。」
「福島県民に対するイジメだ。」
心地よいウソに流されず、事実を直視する勇気を一人でも多くの人が持ってほしいと思います。小出さんの考えに賛同する人が増えれば、この国は変われると思います。
この情報をネット上で拡散して頂けたら幸いです。
以上