【雨あがる】現代に失われつつある優しさを表現した映画を紹介

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 現代社会は、他人を押しのけ、絶望に陥れるような人物で溢れている。息をするようにウソをつき、人の言うことに耳を傾けず、失敗しても責任を取らずに言い訳ばかりをする。小賢しく他人を不愉快にさせる一方で、上役の御機嫌取りは一流で世渡りが上手い。無教養で哲学が無く、「今だけ良ければよい」「自分だけが得すればよい」という安易さが目立つ。実行力はあるが、他者への想像力や共感力に欠けており、それゆえ、長い目で見ると所属する組織・社会に害悪を与える人物。

 以下に、いくつか紹介する。

写真(稲田朋美氏)彼女にだって表現の自由がある・・・
写真(稲田朋美氏)彼女にだって表現の自由がある・・・

写真(橋下徹氏の問題発言)
写真(橋下徹氏の問題発言)

工事を粛々と進めると発言し非難される菅官房長官
写真(デイヴィッド・ロックフェラー氏) 出典:Photo by Cindy Ord/Getty Images
写真(デイヴィッド・ロックフェラー氏) 出典:Photo by Cindy Ord/Getty Images

写真(記者会見する甘利大臣) 出典:ロイター
写真(記者会見する甘利大臣) 出典:ロイター

写真(安倍総理と世耕弘成内閣官房副長官) 出典:自由民主党 参議院議員 世耕弘成オフィシャルサイト
写真(安倍総理と世耕弘成内閣官房副長官) 出典:自由民主党 参議院議員 世耕弘成オフィシャルサイト

写真(生活保護費削減に熱心な自民党:片山さつき議員)
写真(生活保護費削減に熱心な自民党:片山さつき議員)

写真(靖国神社を参拝する石原慎太郎氏) 出典:不明
写真(靖国神社を参拝する石原慎太郎氏) 出典:不明

安保法制強行採決時における、佐藤元隊長の強烈パンチ 出典:EPA
安保法制強行採決時における、佐藤元隊長の強烈パンチ 出典:EPA

写真(安倍首相に経団連ビジョンを手渡す榊原会長(左)) 出典:経団連のホームページ
写真(安倍首相に経団連ビジョンを手渡す榊原会長(左)) 出典:経団連のホームページ

東電幹部不起訴処分
写真(福島原発事故により大量の放射性物質が放出されたが、健康問題は発生しないと安倍総理は断言した。)
写真(福島原発事故により大量の放射性物質が放出されたが、健康問題は発生しないと安倍総理は断言した。)

 別に、これらの人物に存在価値が無い訳ではない。人間だから何かしら良いところがあるはずだ。各自が努力し、今の地位を得て「活躍」していることは認める。しかし、私はどうしても彼らを好きになれない。今の地位に留まりたいならば、もう少し自省してもらいたいという気持ちがある。今の自分をどうしても変えられないならば、役職を辞退してもらいたい、というのが本音だ。同時に、政治家を選ぶ側の見識も疑う。

 その一方で、世の中には対照的な人物も存在する。実力はあるのに他人を押しのけず、腰が低く、思いやりがある。自分の損得よりも他人の役に立つことを優先し、他人の喜びを自分の喜びとする。上役の御機嫌取りはせず、愚直で不器用であるがゆえに、組織の中で昇進は遅いが、組織にとっては居ないと困る人物。

 このように、目立たないけれど、社会をうまく機能させるためには必要不可欠な人物にスポットを当てた映画を見つけた。

雨あがる

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 上記サイトの中から、映画の紹介文を引用する。

「武芸の達人だが職につけない武士、三沢伊兵衛とその妻たよ。妻は、人を押しのけず人々に希望を与える夫をあたたかく見守っているが、職のない伊兵衛は日々妻に申し訳なく思っている。旅の途中、折からの豪雨が夫婦を河畔の宿場町に足止めさせる。やがてその雨があがる頃、城主にその腕を偶然認められた伊兵衛は、藩の剣術指南番に招かれるが…。現代に失われつつある“優しさ”を見事に表現した、心が晴れ晴れとする温かい感動作。」
主演:寺尾聰, 宮崎美子, 三船史郎
再生時間:1 時間, 31 分

あらすじはこちらを参照:

印象に残ったセリフを一部紹介する。

主人公:三沢伊兵衛の妻たよの言葉
「これだけ立派な腕を持ちながら、花を咲かせることができない。なんという妙な巡り合わせでしょう。でも私、このままで良う御座います。人を押しのけず、人の席を奪わず、機会さえあれば、貧しいけれど真実な方たちに、喜びや望みをお与えなさる。このままのあなたも立派ですもの。」

写真(映画:雨あがるの一場面)
写真(映画:雨あがるの一場面)

 この映画を観ると、人生の「勝ち組」「負け組」などという言葉を流行らせた人物の浅薄さを理解できる。この記事の冒頭で紹介した著名人たちは、尊敬すべき対象でないことも解る。

 人間がどういう生き方をすべきかは、各自が考えて決めねばならない問題だ。日々の忙しさ・慌ただしさに流され、マスコミの流す「常識」の渦に巻き込まれ、いつの間にか視野が狭くなっていることもあると思う。

 この映画の主人公は、決して理想的な人生を送っているとは言えないが、その生き方・考え方は、現代人が見失ってしまったものを表現していると思う。見た後に清々しい気持ちになりたい人にオススメの映画だ。

以上

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【国会で追及してるのは山本太郎さんだけ!?】日本政府は、福島原発事故による避難者を消滅させようとしている。

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写真(福島原発事故避難者の問題を追及する山本太郎議員) 後ろの、やる気のない表情を見せている二人は誰でしょう?
写真(福島原発事故避難者の問題を追及する山本太郎議員) 後ろの、やる気のない表情を見せている二人は誰でしょう?

 ある社会の本質を見極めるには、立場の弱い人たちがどのように扱われているのか確認するのが一番確実である。立場の弱いところに、その社会の矛盾・腐敗・堕落のしわ寄せが行き易いからだ。

 福島原発事故が発生して、すでに5年以上が経過し、事故の深刻さが報道されることはほとんど無くなった。もう事故は収束したのだから安心だと言わんばかりである。そればかりか、原発事故そのものも風化し、人々の記憶から消えつつある。しかし実際には、福島原発からは毎日大量の放射性物質が環境中に漏れ続けており、収束の目途は全く立っていない。東日本を中心に大量にばらまかれた放射性物質は人々の健康を確実に蝕んでいる。

写真(放射性セシウムによる土壌汚染) 出典:IPPNW-Report "Health consequences resulting from Fukushima Update 2015"
写真(放射性セシウムによる土壌汚染) 出典:IPPNW-Report “Health consequences resulting from Fukushima Update 2015”

 福島原発事故以前は、放射線による被ばく限度は年間1ミリシーベルトであった(外部被ばく)。しかし事故後は、緊急時のみに適用される年間20ミリシーベルトに引き上げられ、それが今日まで続いている。原子力緊急事態宣言が2011年3月に発令されているが、今日まで解除されずに継続中なのだ。

 日本政府は今後も原子力緊急事態宣言を継続し、ずっと年間20ミリシーベルト基準を維持したいようだ。なぜか?基準を年間1ミリシーベルトにした場合よりも避難対象地域を大幅に狭めることができるからだ。対象地域を縮小できれば避難者数も少なくでき、賠償金や支援金を節約できるのだ。(法治国家として年間1ミリシーベルトをキチンと守っていたら、強制的に数百万人を避難させざるを得なくなる。)

 年間20ミリシーベルトを超える地域の住民に対しては避難指示が出された。そして、年間20ミリシーベルト以下の地域の住民たちも自主的に避難する者が続出した。政府の言うことを信用せず、健康被害を避けることを最優先にして勇気ある判断をした人たちだ。これら原発避難者たちは10万人以上といわれているが、正確な数はつかめていない。

 2015年の春以降に安倍政権は、「復興加速化」「自立」を前面に打ち出し、避難の終了を迫っている。「帰還困難地域」(年間50ミリシーベルト超、事故後6年が経過しても年間20ミリシーベルトを下回らない恐れがある地域)を除いて、2017年3月までに避難指示を解除する方針だ。福島県も2017年3月までに、自主避難者への住宅提供を打ち切る方針を示した。生活を支えるための金銭的支援は不十分極まりないが、それが撤廃・縮小されるのだ。「放射能の線量が高くても元の住居に戻れ。避難場所に留まりたいならば支援はしない。自己責任だ。」というメッセージである。

写真(避難指示解除のニュース)
写真(避難指示解除のニュース)

 支援打ち切りの方針が決められるまでの経緯はほとんど情報公開されなかった。住民からの意見公募が行われたが形だけであり、アリバイ作りが目的だ。方針が決められても誰も説明責任を果たそうとせず、会見を開いても都合の悪い質問には答えず(答えられず)逃げ回るばかりだ。

 自主避難者に対する冷たい仕打ちは、体験したものでなければ分からないだろう。チェルノブイリ原発事故の健康被害状況を知っていれば避難するのが当たり前なのに、「頭のおかしい人達」「風評被害を広めやがって!」という中傷を受けなければならないのは理不尽である。

 福島原発事故は人災であり、国策として進めてきた原子力政策の破綻なのである。責任は、政治家・官僚・東京電力・メーカー・マスコミ・学者などの原発マフィアにある。彼らの愚策により、平穏な暮らしが破壊されたのだ。家族や地域の絆が破壊され、健康被害に遭い、転居を余儀なくされた。職場が奪われ、少ない賠償額や支援では貯金を取り崩さねばならない。何の過失もないのに生活の基盤を他者から根こそぎ奪われたのだから、不自由をさせてはならないし、不安を与えてはならないのが原則だ。国として最低限下記の施策を実行すべきである。

①放射能レベルの正確な測定を日本全国で行い、結果を全て公表する。
②外部被ばくだけでなく内部被ばくの危険についても、最新の知見を国民へ提供する。
➂避難地域選定については、最低限、チェルノブイリ基準を適用する。

写真(原発事故による避難基準比較) 出典:明かり新聞
写真(原発事故による避難基準比較) 出典:明かり新聞

④避難先で不自由がないように、住居、仕事、収入については十分援助する。
⑤避難対象者の医療費については生涯無料とし、診断結果は本人へ丁寧に説明する。
⑥原発は即廃止し、福島原発も含めて廃炉作業は安全第一で進めること。

 安倍政権をはじめとする原発マフィアがやっていることは、これらの原則に反するものだ。そればかりか、原発避難者の存在をこの世から抹殺しようとしているに等しい。殺される側の原発避難者の視線に立ってはじめて、この国の恐ろしさが認識できる。海外戦没者の遺骨を100万体以上放置したり、公害や薬害の被害者を見て見ぬ振りをする態度と根っこは同じなのである。

 原発マフィアというと極悪集団の集まりに聞こえるが、一人一人を見れば平凡な人たちなのであろう。官僚組織や東京電力にしても、あまりに巨大な組織ゆえに責任が希釈化されてしまうのだ。被害者と一対一で面と向き合えば罪悪感を感じるかもしれないが、組織になると他者への想像力や共感力が失われ、巨大な犯罪に手を染めてしまう。

 日本は実質アメリカの植民地であり、日本の原子力政策は日米原子力協定で決められている。アメリカの意向は日本国憲法よりも上位にあり、逆らえないのだ。日米間の密約も多数あり、現在の法的構造の中では、アメリカの了承なしに日本側で決めていいのは電気料金だけだ。例えば2012年9月、アメリカのエネルギー省や国家安全保障会議の高官たちは、日本の原発稼働ゼロ政策についての懸念を日本の外務官僚に対して伝えた。その結果、当時の野田内閣は閣議決定を見送らざるを得なくなった。米国の意を受けた官僚たちに逆らうことはできないのが現実だ。

 アメリカの言いなりにならない政治家や政党を国民が選挙で選び、アメリカの植民地状態を脱する必要がある。そして、日米原子力協定を廃止し、原発即全廃の方針を決めなければならない。さもなくば、いつまでたっても原発避難者は救われない。また、外部・内部被ばくに晒されながら自分は無関係と思い込んでいる数千万の日本人についても、その健康被害を止めることはできないのである。

最後に:
 国会議員の中でこの問題をまともに追及しているのは山本太郎さんくらいかもしれない。下記のYouTubeビデオは15分程度のものだが、全国民必見である。山本太郎さんの後ろに、やる気のない表情を見せている人間が座っているが、彼らを観察するのも一興である。

この問題を詳しく扱っている文献:

原発棄民 フクシマ5年後の真実

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【福島原発事故の影響】放射性物質の中で生活するのはナゼ危険なのか?

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 2011年3月、福島第一原子力発電所の損壊事故により、大量の放射性物質が世界中に拡散された。事故発生から5年以上が経過しているが、いまだに原子力緊急事態宣言が発令されたままであり、放射性物質は毎日漏れ続けている。チェルノブイリ原発事故のような石棺による封じ込めすらできていないのである。

 最も大量に放出された長寿命放射性核種はセシウム137だ。日本の国土はひどく汚染された。

写真(放射性セシウムによる土壌汚染) 出典:IPPNW-Report "Health consequences resulting from Fukushima Update 2015"
写真(放射性セシウムによる土壌汚染) 出典:IPPNW-Report “Health consequences resulting from Fukushima Update 2015”

 セシウム化合物は簡単に水に溶けるため、生物圏で簡単に移動し広がっていく。この危険物質が消滅するには300年以上かかる。厄介な代物だ。カリウムのような天然の放射性物質と異なり、セシウムのような人口放射性物質は人類と共存できず、五感で検知できず、かつ、極めて毒性が強い。

 放射性物質が放つ放射線というエネルギーは人間の組織を破壊する。たった0.5グラムのセシウム137が1平方キロメートルの範囲に均一に分散されただけで、その区域は100年以上居住不可能になるのだ。

 最初に、外部被ばくについて述べる。

 年間1ミリシーベルトという被ばく許容量を超える区域は、1万1500平方キロ以上に及んだ。原子力緊急事態宣言が発令されている間だけは、避難時などの被ばくを考慮し年間20ミリシーベルトまで許容量が引き上げられる。日本政府は、この緊急時の被ばく限度を永遠に適用し続けることを決定した。強制的に避難させるべき警戒区域の範囲をできるだけ狭めるのが目的だ。

 年間20ミリシーベルトという被ばく量は、胸部X線を1年で1000回浴びることに相当する。これだけ危険な環境に居住を許可している日本政府の所業がいかに非人道的か理解できるだろう。放射線による健康リスクは、年齢が低いほど、また、男性よりも女性の方が大きくなる。

 日本ではほとんど議論されていないが、放射線を体の外から浴びる外部被ばくよりも、呼吸や食事で体内に放射性物質を取り込むことによる内部被ばくの方がはるかに危険なのだ。毎日の生活の中で体内にどんどん蓄積し、食物連鎖の頂点に立つ人間の場合、濃縮は100万倍になる。セシウム137は極めて低濃度であっても、様々ながん、白血病、遺伝子突然変異、先天性欠損症、奇形、流産などをもたらすことに留意しなければならない。

 例えば、セシウム137を毎日10ベクレルづつ摂取した場合、500日後には体内の総放射線量は1400ベクレルにも達する。(1ベクレルとは、1個の原子が1秒間に崩壊する時の放射線の強さに等しい)体重70キログラムの大人ならば、1キログラム当たり20ベクレルだが、体重20キログラムの子供の場合、1キログラム当たり70ベクレルになってしまう。体重1キログラム当たりのベクレル数が多くなるほど心臓に悪影響を与えやすいことが判っている。

図(放射性セシウム量と心臓への悪影響の関係) 出典:バンダジェフスキー博士 「放射性セシウムと心臓」
図(放射性セシウム量と心臓への悪影響の関係) 出典:バンダジェフスキー博士 「放射性セシウムと心臓」

 特に体重1キログラム当たり50ベクレルを超えると、心臓血管系・神経系・内分泌系・免疫系・生殖系・消化器系・排泄系で病的な変化が増加する。セシウム137は、体内の様々な臓器に偏在し濃縮されるのが原因だ。人工放射性物質には、これ以下なら安全という閾値は存在しない。

図(臓器ごとの放射性セシウム137蓄積量) 出典:バンダジェフスキー博士 「放射性セシウムと心臓」
図(臓器ごとの放射性セシウム137蓄積量) 出典:バンダジェフスキー博士 「放射性セシウムと心臓」

 チェルノブイリ原発事故に伴い、ベラルーシでこの研究を行い発表したバンダジェフスキー博士は逮捕・投獄され、拷問も受けている。日本では特定秘密保護法が成立しており、似たような人権侵害が起こる可能性が高い。

 チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシでは深刻な汚染地域に200万人以上が居住していた。その結果、健康な子供の割合は2割以下に落ち込んだ。胃腸の異常、心臓の衰え、白内障、血液疾患、甲状腺の機能不良が頻発し、死亡率は激増し、出生率は落ち込んだ。原子力利権の総本山であるIAEA(国際原子力機関)や、その仲間であるWHO(世界保健機関)は、こういった事実を無視している。

 日本の放射線被ばく避難基準はチェルノブイリよりもはるかに緩い。より危険な汚染地域に数百万人という国民が危険性も知らされないまま住み続けている。汚染された食料はまともな検査もされずに広く流通している。すでに2012年4月の段階で、宮城・群馬・栃木・茨城各県で死産および乳児死亡率の著しい上昇(51%)が確認されている。今後、福島原発事故から10年、15年、20年と経過した時、どのような健康被害が顕在化するのだろうか?10万人、20万人といわれる限られた避難者だけの話ではないのである。日本国民全員が考えるべき問題である。

 国民の生命・財産を守ることに無関心な日本政府は事故の後始末には無関心で、原発の再稼働や新規建設、輸出ばかりに熱心だ。原子力マフィアの一角を占める御用メディアは「原発安心神話」の醸成に尽力し、政府の亡国政策に協力を惜しまない。賢い国民はキチンと目を見開き、厳しい事実を直視し、原発廃止や避難区域拡大などの政治的意思表示をしなければならない。

参考文献:

終わりなき危機~日本のメディアが伝えない、世界の科学者による福島原発事故研究報告書~

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【2004年映画:東京原発】原発安全神話の時代に反原発を訴えた勇気に拍手

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写真(映画:東京原発の一場面)
写真(映画:東京原発の一場面)

 2004年に公開された「東京原発」という映画を今回は紹介したいと思います。

東京原発

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 実は私、つい最近までこの映画のことを知りませんでした。内容が反原発であるためにスポンサーが少なく低予算で作られ、しかも、公開してくれる劇場があまりなかったのですね。

 2004年といえば、長年の原発プロパガンダの「成果」により、原発安全神話がすっかり世の中に根付いていた時期です。「原発はクリーン」「原発は電力供給の三分の一」というウソをほとんどの人が信じていました。スリーマイルやチェルノブイリの原発事故が起こっても、多くの日本人は無関心で他人事で、電力会社や政府の流す広告宣伝を簡単に信じていました。書店を歩いても原発問題を扱う書籍を見つけるのに一苦労する有様でした。原発マフィアたちは我が世の春を謳歌していたのです。

 そんな暗黒の時代に原発反対の思想が盛りだくさんの映画を作るのは大変勇気が要ることです。最近この映画をはじめて観たのですが、社会派エンターテインメントとしてかなり見ごたえがありました。上記リンク先の映画紹介文を引用します。

引用始め
*****************
「東京に原発を誘致する!」突如飛び出した都知事の爆弾発言に都庁はパニックに陥った。推進派、反対派それぞれのもっともらしい意見が入り乱れて会議室は戦場と化し、議論が白熱する中、強引に原発誘致を推し進めようとするカリスマ都知事の真の狙いが明らかになる…。一方、フランスから海路極秘裏に運ばれてきた大量のプルトニウム燃料を積んだトラックが爆弾マニアの若者にジャックされ、時限爆弾を仕掛けられて都庁に向かっていた。もし、爆弾が爆発すれば・・・果たして都知事はこの絶対絶命の危機を乗り切ることが出来るのだろうか!?
*****************
引用終わり

 この映画には、原発に関する様々なメッセージが込められています。

・原発の耐震設計は信頼できない。
・日本のような地震大国に原発を作るのは危険だ。
・すべての原発が停止しても停電になることはない。
・もんじゅでの高速増殖炉計画は危険なので中止すべきだ。
・終戦間もない1954年、日本ではじめての原子力予算がどさくさにまぎれて国会を通過した。
・高レベル放射性廃棄物の処理問題には、世界中が頭を悩ませている。1万年経っても消えない強烈な放射性物質を地層処理した場合、環境への漏出が懸念される。
・使用済核燃料から取り出されたプルトニウムを日本は大量に保有しており、それは核兵器へ転用可能である。
・放射性物質は五感で感じることができないので、漏れても気付かない。隠したい連中にとって都合が良い。
・全国の原発は、そこから発生した死の灰で満杯に近い状態だ。
・原発一基を建設するのに数千億かかり、巨大な利権集団が出来上がっている。
・チェルノブイリ原発事故による強制避難区域は、原発から何百キロも離れたところまで及ぶ。
・国のエネルギー開発予算の9割以上は原子力向けである。
・原発問題を自分とは関係ないと思っている国民は傍観者であり、原発を支持しているのと同じである。

 2011年の福島原発事故が発生したあとは、こういった内容を常識だと考える人も増えました。しかし、2004年の段階で、これだけの反原発主張をしていたとは驚きです。原発推進側が一般国民に隠したいことは何なのかが解ります。製作者の反骨心を感じる映画です。

 この「東京原発」という映画は、いまだに「原発は安全だ、安心だ」と思っている人たちにこそ見て欲しいと思います。原発に関心はあるけど、書籍を購入して勉強する気にはなれないという人にオススメです。もちろん、原発の反社会性を熟知しておられる方にとっても十分に見ごたえがある内容です。

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【原発プロパガンダ】原発の広告宣伝はナゼ反社会的なのか?

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 普通の商品を宣伝する場合、その目的は、消費者に存在を知らしめ、必要性を理解してもらい購入につなげるためである。しかし、原子力発電は地域独占事業で競合がおらず、しかも電気は生活必需品であり、かつ、価格決定権が消費者側に無い状態だ。それなのに、わざわざ原発の広告宣伝活動をする理由は何だろうか?それは、安全性・必要性などに関する国民の疑念が強いため、「理解」してもらわねばならないからである。

 電力会社や政府は、原発を広告宣伝するために長年に渡って大金を費やしてきたが、そういった活動がなぜ反社会的なのか理由を以下に述べる。

1)電力会社だけで広告宣伝費用に40年間で約2.4兆単位を投入した。
 これだけの大金を投入しなければならない発電システムは原発だけである。2.4挑円という金額は、電力会社分だけだ。電力10社が運営している任意団体:電気事業連合会や政府広報なども含めれば、金額は数倍になるといわれている。

2)原発広告宣伝のために電気料金と税金が使われている。
 電力会社が行う原発の広告宣伝費用は、我々一般消費者から徴収している電力料金からすべてまかなわれている。電力会社は総括原価方式なので、コストがかかったらかかっただけ消費者に請求できるのだ。電力会社は何の心配もなく湯水のごとく原発宣伝しまくることができる。また、原発は国策なので政府広報も盛んに行われている。その費用はすべて税金から捻出されているのだ。
 原発反対派から徴収した電気料金や税金も原発宣伝のために使われているのである。理不尽とは正にこの事である。

3)原発広告は国民をダマすのが目的である。
 2011年3月の福島原発事故発生以前は、次のような宣伝が行われていた。

・原発は絶対安全だ。
・原発はクリーンなエネルギーだ。
・原発は電力供給の三分の一を占めている。

東京電力の原発広告
東京電力の原発広告

 福島原発事故の発生により大量の放射性物質が放出され、全原発が停止しても電力不足にならなかった。原発で三分の一というのは故意に作られた数字だったのだ。これらの宣伝文句は嘘であることがバレてしまった。

 福島原発事故後の宣伝文句は次のように変化した。

・電力の安定供給のために原発をベースロード電源にする。
(→電力は十分足りてるし、説得力がない)
・火力発電と違って二酸化炭素を排出せず、環境にやさしい。
 (→原発の建設・運営、廃棄物処理で大量の二酸化炭素を排出するし、大量の放射性物質をまき散らしておいて環境に優しいはないだろう。)
・原発停止で大量の原油を輸入しなければならず、経済収支が悪化する。
 (→最近は原油価格が下落している。)

 また、福島原発事故により原発は絶対安全だと言えなくなったので、放射性物質が環境を汚染しても心配ない・安心だと宣伝するようになった。健康被害を心配する奴は不安をあおっているだけであり、風評被害で復興を妨げるからやめてくれ、ということだ。安全神話の後は、安心神話の流布にいそしんでいる。

 原発のイカサマ広告宣伝のために、多くの御用学者、御用文化人、御用タレントが活用されてきた。彼らもまた、高額の報酬に目がくらんだ真正の売国奴である。詳しくは、下記書籍をご参照願いたい。

原発文化人50人斬り

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4)メディアの原発批判報道を抑制する働きがある。
 大量の広告費を惜しげもなく投下してくれる原発業界は、テレビ・新聞・雑誌などのメディアにとっては大切なお客さんだ。原子力村を敵に回すことは、経営の根幹を揺るがすことになりかねない。従って、原発で事故が起こっても批判的な報道はやめようという気持ちが働くのは当然である。マスコミも原子力村の一部なのである。事故が起こって国民の生命・財産が危険にさらされても、原発マフィアの利益を優先せざるを得ない、ということだ。

5)電力会社だけでなく、原子力ムラという巨大組織の権益確保が目的である。
 原子力村と聞いてピンとこない人のために、分かりやすい図を以下に示す。(拡大したければクリック)

出典:原子力村の住民一覧
出典:原子力村の住民一覧

 政治家・官僚・原発関連メーカー、電力会社、学者、マスコミ・・・。原子力マフィアというのは巨大な組織なのである。彼らは既得権益を守るために必死だ。国民をダマすための虚偽広告は当たり前であり、手段を選ばない。

まとめ:
 原発は社会的に有害無益なものであるにもかかわらず、既得権益者たちが、電気料金・税金を使ってウソの宣伝を行い、多くの国民をダマし、その結果、国民の生命・財産を脅かしているのである。これは明らかに、反社会的行為である。

 では、視聴者はどうすればいいのか?

 大手新聞や大手テレビ局の言うことを簡単に信じないで、自分の頭で考えること。

 広告主からの干渉を受けにくい独立系メディア・組織から情報を得るようにする。インターネット上で探せばよい。(このブログでも情報を紹介しているので参照してほしい。)

 原発プロパガンダをしているメディアや組織に対して抗議の意思表示を行う。

参考文献:

原発プロパガンダ (岩波新書)

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参考ビデオ:

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【死刑基準】法廷ドラマを観て死刑制度の是非を考えてみた。

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出典:朝日新聞
出典:朝日新聞

 現在の日本では、死刑制度に賛成する人が8割を超えます。この割合は時代により変化しますが、貧富の格差が増え、治安が悪化し、人心が荒んでいる時ほど高くなる傾向にあります。しかし、法務大臣が死刑執行命令書にサインすることを拒否することが多いため、年を追うごとに死刑囚の数は増えています。法務大臣が責任から逃げ回るということは、現行の死刑制度に自信が無い証拠ではないでしょうか?

図(死刑執行状況の推移) 出典:朝日新聞
図(死刑執行状況の推移) 出典:朝日新聞

 ほとんどの人が死刑に賛成するのに、肝心の死刑執行が進んでいない状況には批判が少ないようです。死刑賛成とはいっても、熱心に支持している訳ではないのでしょう。

 死刑制度については、私が運営するこのブログでも記事を書いたことがあります。

【冷静に考えてみよう】死刑賛成派が日本で多数を占めるのはなぜか?死刑制度を廃止すべき根本的な理由は何か?

 上記リンクの記事に対しては、たくさんのコメントを頂いています。当然、死刑制度に賛成する人からの意見がほとんどを占めています。「人を殺したら、死をもって償うのが当然だ。被害者側の感情を考えろ。」というのが主旨ですね。

 最近、死刑制度を扱う法廷ドラマを見ました。ドラマとしても素晴らしいですが、死刑制度を多様な観点から捉えており、非常に参考になりました。

死刑基準

 上記リンク先から、本ドラマの紹介文を引用します。

「司法試験に合格しながら大学法学部の講師となった水戸裕介(山本耕史)、死刑廃止論者の弁護士・大伴浩二郎(小澤征悦)、検事の永瀬麻梨子(戸田菜穂)。3人は共に司法を学び、それぞれ死刑に対する考えを持っていた。ある日大伴の妻が殺害され、彼に恨みを持つ鯖江申三(柏原崇)が逮捕される。大伴は今までの主張を覆し、鯖江の死刑を求める。このことをきっかけに水戸は弁護士に転身。しかし最初に弁護することになったのは鯖江だった。」

 実際に観て頂くのが一番良いのですが、現在の司法制度について下記の論点を提示してくれています。

・被害者側遺族の心のケアや補償が不十分である。
・警察・検察側はすべての証拠を独占しており、都合の悪い証拠を隠し、それが冤罪を生む可能性がある。
・冤罪で死刑にされる恐ろしさについて。
・冤罪の発生に伴い、真犯人が野放しになる問題。
・凶悪犯の死刑判決を回避することで名を上げることが目的化している弁護士の存在。
・法律を扱う人間は、人の心に配慮しなければならない。
・死刑判決を下す時の、裁判官の苦悩。
・死刑にするかどうかは単純に殺した人数だけではなく、動機・方法・被害者感情など複数の要素が考慮されて決められる。
・世界の潮流は死刑廃止であり、死刑が凶悪犯罪抑止につながっているという統計データは無い。
・人を殺したら死をもって償うしか方法はないと、ほとんどの日本人が考えている。

 死刑制度には関心があるけれど本を読んで勉強する気はない、という人にオススメのドラマです。死刑制度に対して問題意識を持つきっかけになると思います。

 この「死刑基準」という法廷ドラマで扱っていない問題があります。冒頭で、幼女誘拐殺人・死体遺棄の犯人が裁かれるのですが、この犯人を生んだ原因や対策については言及されていません。これは、司法制度の中では解決できませんから、一般国民・政治家が関心を持って議論すべきことでしょう。

 死刑制度は被害者側の感情に応えるという機能を持っていますが、その一方で加害者の存在を社会から消すものでもあります。加害者は特殊な人間であり、社会に害悪しかもたらさないのだから抹殺してかまわないという暗黙の社会的合意があります。しかし、その合意は間違いです。加害者は偶然の突然変異で発生するのではなく、政治・社会システムの欠陥・矛盾などから生まれるのです。100%加害者本人の責任にして、その存在を抹殺して済ませていたら、人類はいつまでたっても進歩せず、同じ間違いを繰り返し続けることになります。対症療法には限界があるのです。

 大量殺害事件がテレビで報道されると、視聴者の犯人に対する憎しみが沸き起こり、死刑制度賛成の世論が高まります。実は、このパターンを一番喜んでいるのは社会を支配する権力層なのです。犯人個人にのみ批判が集まっているうちは、権力者は安泰です。権力者が一番恐れるのは、犯人を生み出した社会的背景や政治システムに国民の関心が向くことです。内閣支持率が落ち投票行動に反映されたら、権力基盤が脅かされるからです。

 凶悪犯の死刑が執行されて溜飲を下げるだけでは、進歩はありません。日本が先進国だと言うならば、いつまでも現状に甘んじていないで、その先を行くべきでしょう。被害者側の心のケアや補償をしっかり行うとともに、加害者は生きてその罪を償ってもらう。社会状況が改善されずに凶悪事件が頻発し続ければ、受刑者の数が増大し、問題が目に見えやすくなります。刑務所施設拡張やその税金負担増加、さらには、受刑者の更生状況にも関心を持たざるを得なくなります。殺してしまったら関心は持てないのです。

 死刑に対するEUの考え方は、「いかなる罪を犯したとしても、すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵である。人権の尊重は、犯罪者を含めあらゆる人に当てはまる」というものです。犯罪者の人権を尊重するという考えは、日本ではまだまだ受け入れられていません。しかし、死刑という国家による殺人は「臭い物に蓋をする」ということであり、事件の再発防止には何の役にも立たないということを明記したいと思います。

以上

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【信じてはいけない!】政府は必ず国民を見捨てる。

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 1940年代、敗色濃厚のフィリピン戦線では、作戦といえるようなものは無く、指揮命令系統も崩壊していた。国家から見捨てられた旧日本軍の兵隊たちには補給もなく、食料は現地で自力で調達するしかなかった。アメリカ軍の攻撃、過酷な自然環境、そして飢えに苦しみ、正気を失っていく。

 作家の大岡昇平氏が、自身の戦争体験を元に著した小説「野火」を学生時代に読んだことがあるが、餓死から逃れるために人肉を食らう様子が衝撃的で、強く記憶に残っている。

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 小説の映画版も最近見てみたが、末端の兵隊たちが戦地で苦しむ様子がよく描かれている。というよりも、描かれているのは、極限状態で苦しむ人間の姿だけである。

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 小説も映画も事実を元に描かれているが、見ていて救われる場面が全く無い。戦後70年以上が経過して戦争体験者や語り部が少なくなり、戦争の悲惨さを後世に伝えることが課題だと言われているが、大岡昇平氏の著作はその意味でも貴重であるといえる。

 組織の末端で、戦場で苦しみ犠牲になった者たちの視点は確かである。国家権力は教育勅語などで国民を洗脳し、抵抗できない雰囲気を作り出し、徴兵を行い戦地へ送り込む。しかし、上層部の意思決定はいい加減・無責任で、状況が不利になれば末端の人間などは簡単に見捨てるのである。飢餓などで犬死させられても、独裁権力者は責任を取ることがない。この体質は、戦後70年以上が経過しても変わることがない。国民自ら権力者の責任を追及し断罪しなければ、過ちは繰り返されるのである。

 太平洋戦争における日本人の死者は、厚生労働省の推計によると約310万人である。そのうち、約240万人が海外で亡くなったが、帰還した遺骨は127万体に留まる。帰還した遺骨のうちの多くは戦友会や遺族などの民間活動によるものであり、政府事業によるものは約34万体に過ぎない。未収用の遺骨は約113万体にも及ぶ。これは、驚くべき事実ではないか?

写真(遺骨収集活動)出典:野口健氏のブログ
写真(遺骨収集活動)出典:野口健氏のブログ

 2016年8月11日付の現代ビジネス記事(下記リンク先)には、世界の地域別遺骨未収用数が示されている。

「113万体」世界に眠る戦没者の遺骨をどうするのかという、この国の宿題

引用:
「中国(23万)▽インド(1万)▽ミャンマー・タイ・マレーシアなど(4万6000)▽フィリピン(37万)▽インドネシア・北ボルネオ(2万5000)▽中部太平洋(17万)▽ビスマーク・ソロモン諸島(6万)▽ロシア・モンゴル(3万)▽北朝鮮など(5万)。」

 自衛隊が常駐している東京都小笠原村硫黄島ですら、依然として1万体以上が放置されている。

 意外に思うかもしれないが、遺骨収集は国家の責任で行うという根拠法が戦後70年近く存在していなかったのが大きな原因だ。歴代自民党政権は、遺骨収集に幕引きを図ることばかりに熱心であった。戦争で亡くなった人たちの遺骨を帰還させるための超党派議員立法「戦没者遺骨収集推進法案」が可決したのは、2016年3月24日である。2024年までに集中実施することになっているが、遅きに失したと言わざるを得ない。

 上記の事実は、独裁権力者・政府は必ず国民を見捨てることを示している。美辞麗句を並べてダマし、生命財産を搾取することには熱心だが、結果には責任を取らないのである。日本の国民に対してすら冷淡なのだから、侵略戦争で殺した千数百万人のアジア諸国民に無関心なのは当然である。搾取する側の政治権力者の背後には、財閥系企業(三井・三菱・住友・安田など)が存在し、暴利を貪っていたことも忘れてはならない。

 権力者の棄民政策は、戦後、様々な分野で無数に繰り返されてきた。公害、薬害、福島原発事故・・・。権力者は何度でもダマし、何度でも失敗し、何度でも見捨てるのである。国民が政治的に無関心で、大人しい子羊集団である限り、権力側の高笑いが止まることは無いだろう。

以上

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鳥越俊太郎という不適格者を東京都知事候補として担ぎ上げた関係者に猛省を促す。

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 2016年の東京都知事選に出馬し落選した鳥越俊太郎氏は、自称「ニュースの職人」を名乗っていた。ジャーナリストと呼ばれることを嫌っていたようだ。

(人生の贈りもの)わたしの半生 ニュースの職人・鳥越俊太郎:1 75歳

 ジャーナリストは、権力の監視が仕事であり、現場・現物・現地人を直に取材して事実を丹念に追っていくことが要求される。鳥越氏は明らかにその定義から外れているので、ジャーナリストを名乗ることを拒否したのだろう。賢明な判断である。

 1989年、鳥越俊太郎氏は毎日新聞社を辞めるときに「毎日新聞の社長になれないなら、テレビキャスターだ」と豪語した。彼にとって大事なのは、社会的知名度であり金銭的な報酬なのだ。社会の底辺の事実を泥臭くすくい上げて権力と対峙するというジャーナリストの仕事は危険であり、反主流であるがゆえに多くの金銭的報酬を望むことはできない。鳥越氏は、権力と対峙するポーズをとりつつ、テレビキャスターとして名を上げ、年間で億単位の報酬を受け取ることに成功した。

 原則として自分で取材はせず、他人が持ってきた情報を右から左へ流すだけの自分を「ただの虚業家ではないか・・・」と悩んでいた時期もあったようだ。しかし、「ニュースの職人」として、視聴者に分かりやすく伝えるという役割は果たしてきたと思う。彼のテレビ画面上での好感度は高く、私自身も視聴者の一人として大分世話になったことは事実だ。

 鳥越俊太郎氏は1940年生まれであり、2016年の都知事選挙に立候補した時はすでに76歳であった。高齢であっても立候補するのは本人の自由だが、肩書をジャーナリストとしていたことに違和感を覚えた。民進党・日本共産党など複数の野党と市民団体の推薦を受けて選挙活動を行ったが、全候補者中3位で落選した。落選の原因を以下に箇条書きする。

・政治家としての実績も知識もないド素人である。
・立候補する前の準備が皆無であった。
・東京都知事候補でありながら、東京都の抱える課題について無知であった。
・「がん検診100%が目標」などという妄言を吐き、医療・薬品業界、保険業界の利益代弁者であることを露呈した。
・街頭演説の回数が自民党系候補者に比べてかなり少なかった。
・街頭演説では応援演説が花盛りだったが、肝心の本人のしゃべる時間が少なく、しかも政策について論ずることが少なかった。結果として、聴衆をがっかりさせてしまった。
・候補者同士の討論会を避けていた。実績も実力もある他の候補者から逃げ回っていた印象を与えた。
・選挙期間中に週刊誌が鳥越氏の醜聞を報じたが、必要最低限の説明責任を果たさなかったために不信感を植え付けた。
・選挙戦を通じて、何が何でも当選しようという熱意が感じられなかった。

 鳥越氏の自信のなさ、頼りなさ、いい加減さ、責任感のなさ、などを有権者は敏感に感じ取り、多くの票が自民党系候補に流れた。たとえ当選しても、まともな仕事ができそうにない人に一票を投じるのは無理だろう。有権者を責めることはできない。責められるべきは、鳥越氏のような人物を野党統一候補に担いだ関係者である。

 民進党が独断専行で密室で候補者を決め、それを他の野党と市民団体が丸のみするとは、野党共闘も堕ちたものである。参議院選挙の時のような政策協定もなく、完全な野合であった。著名人を担ぎさえすれば、有権者の支持を得られると思っていたのだろうか?

宇都宮氏「今回は政策もなければ何もない」/総括1

宇都宮氏「候補者選びは独裁的なやり方」/総括2

 野党共闘の一角を担った共産党は政界随一の調査・分析能力を持っているが、このような判断ミスをなぜ犯したのだろうか?投票率の低さを考えれば野党共闘しか手段が無いことは理解できるが、鳥越氏のような不適格者を推薦してはいけない。組織力を誇る共産党の票もかなり逃げたが、当然の結果である。

 鳥越俊太郎氏自身は本質的に体制側の代弁者とはいえ、ニュースキャスターとして一定の役割は果たしてきており、一市民として特にひどい人間だとは思わない。しかし、自分は東京都知事候補としてふさわしくない、という判断ができなかったのは残念だし、結果として、晩節を汚すことになった。

 鳥越氏は選挙後にハフポスト日本版の取材を受けている。記事のリンクを以下に貼る。

「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】

写真(鳥越俊太郎氏) 出典:ハフポスト日本版
写真(鳥越俊太郎氏) 出典:ハフポスト日本版

 敗戦の原因と真摯に向き合うこともなく、矛盾とゴマカシに満ちた見苦しい言い訳のオンパレードである。東京都知事としてはもちろん不適格者だが、人間としてもニセモノなのでは?、と疑いたくなるようなインタビュー記事である。ご一読をお勧めする。

 鳥越氏程度の平凡な人間はどこにでもいるし、珍しくもない。最終的に立候補するのは本人の自由である。問題は、彼のような不適格者を自民党系候補者への対抗馬とするべく担ぎ上げた者たちにある。適切な選択肢を東京都民に提示できず、結果として極右反動都知事(小池百合子氏)を誕生させてしまった罪は大きい。今後行われる衆議院選挙では、同じ間違いを繰り返さないように願う次第だ。

以上

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助け合いの共生社会を目指すべき理由

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ヒヨコを助ける猫 出典:不明
ヒヨコを助ける猫 出典:不明

 弱肉強食の新自由主義にかぶれているせいか、過度の競争や成果主義を礼賛している人が増えているようです。この考え方は、会社組織や社会そのものを弱体化させ、人類を滅亡に追いやるものだという話を今回はします。

 多くの会社組織では競争が行われ、成績の良い者や上司へのへつらいが上手いものが抜擢されます。位が上がると給与が増え、肩書が付き、権限が与えられ、部下を管理し手足として使います。部下へ仕事を分配し、指示した方法通りに実行するよう命令し、期日に間に合うように監督するのが最も効率的だと考える人が多いですね。それが優秀な上司の在り方であり、有無を言わさぬ上意下達が理想なんだという信念を持っている人もいます。

 しかし、そのような仕事環境は様々な弊害を生み出します。

 ます、部下にとって創意工夫の余地がなくなるので仕事がつまらなくなります。意見を言っても聞いてもらえないので、無力感に襲われます。管理主義が度を過ぎると横の連帯が弱くなり、隣の席に座っている人の業務内容すら分からなくなります。問題を解決するには、グループや部署の壁を乗り越えて情報や知恵を共有し助け合わねばならないのですが、誰に何を聞いたらいいのかも分からなくなります。そういう問題解決の判断は上司がすればいいと言うかもしれませんが、たくさんの情報を集めているつもりでも、所詮一人の人間では視野が狭く、判断を誤り、結果として多額の損失を被ることも多いのです。

 さらには、余裕のないギスギスした組織では、教育係が消滅するので若い人が育たなくなります。新人が入ってきたら、複数の人間が状況に応じて臨機応変にサポートしなければなりませんが、余裕のない環境では対応不可能です。職場の善意や心の余裕が存在しなくなれば、配属前に長期間の研修をしても若者の退職率は減りません。人を育てられない組織は衰退し消滅する運命にあります。

 では、どうすればいいのでしょうか?

 上下関係による管理も大切ですが、それ以上に横同士の連帯や協力関係構築に力を入れるべきです。お互いを理解し、信頼関係を築くのは一日や二日では無理です。職務や部署の垣根を超えて、至る所で真面目な雑談を気楽に行える環境が必要です。会議では人の本音を引き出したり、親睦を深めるのは難しいのです。よく会社員を歯車に例える人がいますが、複数の歯車を回すのに必要な潤滑油に相当するのが雑談です。雑談という潤滑油があるからこそ社会的連帯が生まれ、相互に協力・助け合いが可能になるのです。社員一人一人の一挙手一投足を厳重に管理しようとすると、息が詰まってしまい相互交流どころではなくなります。孤立し精神的に消耗し、組織が機能不全を起こします。

 人間一人一人が持っている能力・知識などは、たかが知れています。あの人は優秀だと言っている場合も、実は一つの物差しと狭い見識で評価しているケースが多いのです。ある環境下で抜擢された一人の人物に依存して、残りの者はそれに従うだけの組織は脆いものです。平凡と思える人たちの集まりでも、一人一人が当事者意識や責任感を持って意見・知恵を出し合い、助け合える組織にはとても敵いません。「三人寄れば文殊の知恵」とはよく言ったものです。

 社会的連帯が強固な助け合い型組織がなぜ強いのでしょうか?常に発生し続ける様々な問題に対して、適切な判断をすることができるからです。ひとりのスーパースターがいたとしても、一人だけだとすぐにつまづきます。複数人の知恵や経験を出し合い、話し合えば、様々な困難に対して間違った判断をすることを防ぎやすくなります。

 ダーウィンという科学者は、「生き残る種は、最も強いものでもなく、又、最も知識の高いものでもない。環境の変化に最も適応できる種である。」、と言ったらしいですが、これは人間社会にも当てはまります。ある組織が、環境の変化に対して柔軟に、そして適切に対応するには、その組織に社会的連帯機能が備わっていなければなりません。これは目に見えないので、共感力が鍵となります。立派なホームページや組織図を作るだけではダメなのです。

 国の在り方も同じです。強者が悪知恵を働かせ弱者から搾取するシステムを作り、1%が99%を支配する社会は脆いものです。上意下達が徹底され、立場の弱い庶民がお互い分断されてしまっているからです。最近、アメリカの後を追うように日本でも格差が拡大していますが、弱肉強食型の社会は衰退する運命にあります。このままの路線で、日本人の人口は100年後にどのくらい減少するでしょうか?

 社会的連帯機能が強固な助け合い型の共生社会構築は簡単ではありません。強い指導者を望み、お任せ民主主義が蔓延している日本は、当事者意識が無い有権者の集まりとも言えます。政治・社会問題に関して自分の頭で考え判断し発言行動する人がもっともっと増えなければなりません。ある特定のリーダーに依存することがない、やかましい有権者たちが連帯し助け合うことが必要なのです。

参考リンク:「マーガレット・ヘファーナン: 職場の順位制をやめよう」

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【犠牲になるのは99%を占める庶民】社会を劣化させる反動右翼勢力の暴走を止めよう

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 日本国憲法を蹂躙し、法的枠組みを破壊し続ける安倍政権のおかげで、憲法に関して自己学習する機会が増えました。暗黒の戦前から戦後にかけて、憲法価値の大転換が行われましたが、そのことを示す図をネット上で見つけました。

図(憲法価値の転換) 出典(ツイッター:watanabe氏)
図(憲法価値の転換) 出典(ツイッター:watanabe氏)

 国家や天皇を大切にする社会から、一人一人を大切にする社会に変わったのです。天皇を現人神と信じ込ませる狂った時代から、国民一人一人が個人として尊重されるようになったのは、歴史上の当然の流れです。2016年8月8日に発表された天皇陛下のコメントにも、価値の転換が表現されています。

「私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」

 日本社会は、このまま進歩し続けるのでしょうか?残念ながら安心できません。進歩と逆の反動勢力が衆参両院で多数派を占め、第三次安倍再改造内閣は戦前回帰願望の強い人間たちの巣窟となっています。

図(第三次安倍再改造内閣)
図(第三次安倍再改造内閣)

 彼らが目指しているのは、自民党改憲草案の実現です。自民党の改憲草案は、戦前の憲法に戻すことを目的にしています。近代憲法の体を成しておらず、国民に対して命令する文言が盛りだくさんです。憲法は国家権力を縛り、その暴走を防ぐのが目的だということが解っていない者たちが作ったものです。

 歴史から学べない愚か者たちが何をしているか振り返ってみましょう。

1)国民主権から天皇主権へ戻そうとしている。
 人を脅すことしか能が無い反動政治家たちは、国家元首という飾りを欲しています。戦前でいうところの現人神ですね。それを持ち出せば、国民全員がひれ伏すような絶対的(に見える)存在が欲しいのです。国民の無知に突け込み、労せずして支配・搾取したいのです。一例として、学校現場で有無を言わせず、国旗掲揚・国歌斉唱を強制する輩がはびこっています。この流れを放置していると、紙切れ一枚で命を差し出させるのが当たり前になるでしょう。

写真(2004年秋の園遊会で、君が代斉唱を強制しないよう述べる天皇)
写真(2004年秋の園遊会で、君が代斉唱を強制しないよう述べる天皇)

2)戦争しない国から戦争する国にしようとしている
 アメリカの属国でありながら、プチ覇権主義の妄想に囚われている安倍総理。財界や日本会議の要請も受けて、安保法制(=戦争法)を成立させました。

安保法制強行採決時における、佐藤元隊長の強烈パンチ 出典:EPA
安保法制強行採決時における、佐藤元隊長の強烈パンチ 出典:EPA

 旧日本軍の侵略戦争を礼賛することでアジアの諸外国にワザと喧嘩を売り、その一方で、友好関係を築くための外交努力は完全に放棄しています。「危険な中国・韓国・北朝鮮から日本人の生命・財産を守るためには安保法制が必要なんだ」という政府の詭弁に多くの日本人は見事にダマされました。

 歴史上、侵略戦争をしてきた当事国はすべて、「自衛のための戦争」だと言い訳をしてきたのです。例外はありません。この事実を直視すべきでしょう。このままいけば、日本は「自衛のための戦争」という過ちを再び繰り返すことになります。

3)教育内容に介入しない国から教育を利用する国へ変えようとしている。
 悪徳権力者にとって教育現場を支配しコントロールすることは必要不可欠な手段です。日本国憲法の理念に基づいた平和教育を推進されるのは、自民党にとって都合が悪いのです。

 「子供たちを戦場に送るな」と主張する教師を「特定のイデオロギーに染まっている」と判断し、「政治的中立性を逸脱する不適切な事例」として密告することを自民党は勧めていました。下図がその証拠です。

写真(自民党ホームページ:学校教育における政治的中立性に関する実態調査)
写真(自民党ホームページ:学校教育における政治的中立性に関する実態調査)

 ネット上での批判が高まったため、すでに削除されていますが、堕落しきった自民党の本質が良く分かります。

4)政教分離→宗教を利用した国へ
 A級戦犯を合祀して以来、天皇陛下も寄り付かなくなった悪名高き靖国神社。この宗教法人の本質は、日本が行った侵略戦争の否定であり礼賛です。海外メディアは「war shrine」(戦争神社)と呼んでいます。適切な表現ですね。

 この戦争神社に好んで参拝する国会議員が自民党を中心に多数いるのです。

写真(超党派議員による靖国神社参拝) 出典:ANNニュース
写真(超党派議員による靖国神社参拝) 出典:ANNニュース

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」なんていうのもあります。我々は歴史の過ちから学ぶ能力がありません、と宣言しているようなものです。国際的な恥さらしですね。「死んだら靖国神社に英霊として祀ってやるから、安心して戦争に行ってこい」と言われて喜ぶ自衛隊員がいるのでしょうか?

 侵略戦争礼賛という考えに染まった特定の宗教団体と政治権力者が結びつくのは危険です。情報弱者の国民は、権力者の言うことを簡単に信じて、間違った方向に流されてしまいやすいからです。

5)地方自治を保障する国→徹底した中央集権の国にしようとしている
 日本は実質、アメリカの植民地です。日本国憲法よりも上位にアメリカが存在し、その意向から外れない範囲で自民党政治はなされてきました。その矛盾が一番強く表れているのが沖縄です。

 米軍は日本を守るために駐留している訳でもないのに、義務でもない思いやり予算を献上しています。卑屈な態度ですね。その結果、野獣にも劣る多数の米軍兵によって、沖縄の人たちの命が奪われ人権が蹂躙されてきました。

【奪われてきた無数の命と尊厳】駐留米軍による事件事故の年表を沖縄タイムズが発表。日本人ならば事実を直視せよ。

 米軍は沖縄から撤退すべきなのに、意思表示の一つもできないだらしない政治家たち。彼らの歪んだプライドは、沖縄県民に対する弾圧という形で噴出しています。自民党の島尻安伊子沖縄・北方担当大臣は、現職大臣でありながら沖縄選挙区で落選しました。しかし、安倍政権は県民の意思など無視して米軍基地建設を強引に推進しています。基地問題での衝突は、日本で地方自治が保障されていないことを象徴しています。

6)差別のない国→障がい者・女性・子供を差別する国へ
 障がい者は社会から隔離され、女性は意思決定の場から排除され、子供は家庭の経済事情が悪ければ人生の選択肢が狭まってしまう。これが日本の現実です。

 特に障がい者に対する差別は凄まじい。2016年7月26日に神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった大量殺害事件については、容疑者個人の特殊性や措置入院制度の運用だけでなく、社会にはびこる障がい者への差別意識も考えなければなりません。

 「自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べる」という副題が付いたブログで、「重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」というタイトルの記事を見つけました。以下にリンクを貼ります。

「重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」

 上記リンク先の記事から一部を引用します。

引用始め
**********************
考えてみてほしい。知的障害者を生かしていて何の得があるか?まともな仕事もできない、そもそも自分だけで生活することができない。もちろん愛国者であるはずがない。日本が普通の国になったとしても敵と戦うことができるわけがない。せいぜい自爆テロ要員としてしか使えないのではないだろうか?つまり平時においては金食い虫である。

 この施設では149人の障害者に対し、職員が164人もいる。これではいくら職員を薄給でき使わせたところで採算が取れるはずもない。そんな状況では国民の税金が無駄に使われるのがオチである。無駄な福祉費を使わなくて済ませることが国家に対する重大な貢献となる。だからこそ植松が言うように障害者はいなくなるべきなのである。
**********************
引用終わり

 このような暴論に賛同する者は、特に安倍政権の支持者に多いのです。実際、相模原の大量殺害事件の容疑者は障がい者の安楽死を切望しており、安倍総理や自民党の大ファンでした。弱者を差別する戦前回帰内閣が何年も続くことで、暴論を平気で口にする人間がどんどん増え、その結果、悲惨な事件が起こったのです。

7)格差を是正する国→貴族・財閥・大地主のいる国へ
 アベノミクスにより富裕層からのおこぼれに預かることを期待している人はいないと思います。トリクルダウン理論は破綻したのです。

出典:不明
出典:不明

 99%の人間が1%の人間から搾取され、貧富の格差がますます拡大しています。強欲な富裕層たちはお金の蓄積自体が目的化しており、話し合えば分かり合える相手ではありません。経団連は裏から安倍政権を操り、国民からの搾取政策を推進しています。長期的な経済の停滞などお構いなしです。自分たちの目先の利益にしか関心が無いですから、良心的な判断を期待することはできません。富の再分配を進めたければ、選挙で自民党を政権から降ろすしかないのです。

8)福祉を充実させる国→自己責任を強いる国へ
・奨学金という名の多額のローンを若者に背負わせて、非正規労働で返済が滞ったら自己責任だ。
・年金資金を株式市場で運用し、多額の損失が出たら、支給額を減らしたり時給開始年齢を遅らせる。国民の自己責任だ。
・日本がアメリカの戦争に協力して、日本人がテロリストの標的になり殺されても、自己責任だ。

 最近、政治家の間で、自己責任という言葉に人気があるようです。それだけ便利な言葉なんですね。都合が悪いことは、国民の自己責任で何とかしろと言って済むのであれば、政治家は不要です。

 消費増税は、社会福祉の充実に用いると言っていましたが、ウソでした。大企業の減税資金に使われていたのです。内部留保に化けたのです。

消費税収と法人税減収 出典:赤旗
消費税収と法人税減収 出典:赤旗

 有権者は、何回ダマされれば気が済むのでしょうか?戦前回帰内閣が、国民のためを思って政治をすることはあり得ないのです。

9)個人のための国家→国家のための個人

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「WiLL」2006年9月号/ワック)
「いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」(2006年9月4日付の産経新聞)
「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」(2011年3月号の正論)

 このような発言をする人物が、最近、防衛大臣になりました。

写真(稲田朋美防衛大臣)
写真(稲田朋美防衛大臣)

 彼女なら、自衛隊員たちを侵略戦争の駒として使い、戦死させることも厭わないでしょう。心から同情します。しかし、「国家のために個人は犠牲になれ」という安倍政権のスタンスは、防衛・戦争に限ったことではありません。ありとあらゆる分野に及びます。自分は大丈夫だとタカをくくっている人は、後で泣かないように十分警戒すべきだと思います。

以上

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