黒髪以外の者が排除されるような社会は、ナゼ暮らしにくいのか?

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 最初に、2017年10月28日付の毎日新聞記事から引用する。

「生まれつき頭髪が茶色いのに、学校から黒く染めるよう強要され不登校になったとして、大阪府羽曳野(はびきの)市の府立懐風館(かいふうかん)高校3年の女子生徒(18)が約220万円の損害賠償を府に求めた訴訟は27日、大阪地裁で第1回口頭弁論が開かれた。生徒側は「黒染めの強要は、生まれつきの身体的特徴を否定し、人格権を侵害する」と主張。府側は「適法だ」と反論しており、生徒指導としてどこまで許されるかが争点になりそうだ。」

 地毛の茶髪ですら認めず、黒色にすることを強制する病的な風習は、大昔から現在に至るまで健在なようだ。世界中の国からお客を招き、2020年にオリンピックを開催しようとする国の実態が海外メディアでも報道され、衝撃を与えている。東京都知事の小池百合子氏が多様性(ダイバーシティ)と言っていたが、空しく響くだけだ。

 金太郎飴になることを求められるのは高校だけではない。下写真はある会社の入社式風景だ。

写真(入社式の風景)

 工業製品ならば均一で安定した品質が求められるだろうが、人間の見かけがこれだけ揃っていると異様である。髪の色、髪型、スーツの種類・色、アクセサリー、化粧、バッグの形・色、靴にいたるまで、強制されなくても周囲と同じにしようとする習慣が、すっかり根付いている。

 就職活動する若者がこのように行動するには訳がある。「私は、上の言うことには絶対服従し、疑問を持ちません。自分の考えは無く、周囲にひたすら合わせます」と暗にアピールしているのだ。受け入れる側の採用担当者も、こういう人材の方が安心する。下手に個性的な人間を採用して後で問題を起こしたら、自分が責任を問われかねないからだ。この態度を保守的などという美しい言葉で表していいのだろうか?

 会社だけの話ではない。日本社会全体が、没個性と隷従を求めている。北朝鮮の金正恩さんですら、日本の実態を知ったら驚くのではないか?安倍総理は北朝鮮のミサイル危機をやたら煽るが、実は、統制が取れた北朝鮮の一党独裁体制を羨ましがっているのだろう。

 社会からの要請を受け、学校教育の現場は教育工場と化している。金太郎飴の工場である。与えられた知識を効率よく覚えることが求められ、受け身一辺倒だ。ブラック部活も奴隷養成のための有効な手段だ。がんじがらめの校則、有無を言わせぬ日の丸・君が代強制も、安定した工業製品を生み出すための工程に過ぎない。管理・指導する学校の先生も教育委員会も、人間性を失ってしまっている。こんな環境で仕事をしていて楽しいのだろうか?

 製造工程で品質不良と判断された製品は使い物にならないのではねられ、廃棄される。ドロップアウトした生徒に対する世間の目が冷たいのはこのせいだ。しかし、扱っているのはモノではなく人間である。教育工場の出荷検査に合格した人間よりも、不合格になった人間の方が劣っていることにはならない。判断基準自体を疑い修正しなければならないのだが、戦後70年以上もの間、教育システムに実質的な進歩がない。これは、人間の尊厳に対する冒涜であり、驚くべき怠慢と言わざるを得ない。長年に渡ってこのような教育制度を推進してきた自民党は、「自由」「民主」という党名を返上しなければならない。

図(各政党・政治家の立ち位置) 出典:週刊金曜日

 今回、生まれつき茶髪の生徒に黒染めを強制した件で、大阪府側は訴えられているが、話し合いにはまるで応じようともしない。他でもやっているから自分たちは間違っていないと思い込んでいるのだ。みんなと同じことをやっているから自分は正しい・安心という態度は思考停止であり、取り返しのつかない事態を引き起こす原因となる。原子力村が暴走し、福島原発事故が発生したのは必然なのだ。

 何の疑問も持たずに惰性に流されていても、閉塞感が解消されることはない。没個性や隷従を当たり前だと考えている日本社会は病気であると自覚しなければならない。

以上

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若者のアベ内閣支持率が高いのはナゼか?あなたは、奴隷化教育の犠牲者だと自覚していますか?

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 若者世代のアベ内閣支持率が高いと報道されている。

写真(年代別の内閣支持率) 出典:TBS

 2017年6月11日に放送されたTBSのサンデーモーニングで、この問題が取り上げられた。番組中でコメンテーターが若者世代に対して、「安定を望まずに変化を求めろ」などと発言し、瞬く間にネット上で拡散され、物議を醸しているようだ。

 特に20代は一番搾取されている世代でありながら、なぜ、無批判にアベ内閣を支持してしまうのだろうか?

 やはり、奴隷民族養成機関と化した日本の教育システムに大きな原因がある。幼少のころから始まり、特に中学校から本格的な個人性抹殺が行われる。部活動も含め、世界的に見ても異常な長時間拘束により、主体性が根こそぎ奪われる。上意下達的雰囲気の中、一方的に「知識」を押し付けられるだけの無味乾燥授業。有無を言わせぬ日の丸・君が代強制。人間性を奪われた結果はびこる陰惨なイジメは、多くの自殺者を生み出す。現実に、若者の死因一位が自殺という国は、先進各国の中でも日本だけだ。

図(若者の自殺死亡率の国際比較)

 このような客観的状況を把握・自覚することもできず、「日本は良い国だ~」と思い込んでいるのが現実だ。奴隷化システムを出たばかりの若者世代が、御用マスコミの垂れ流す「アベ総理は良い人」プロパガンダにさらされ続けたら、結果として内閣支持率が高くなるのは当然なのだ。その後、社会経験や学習を積み重ね、運が良ければ、健全な批判的能力を身に付ける場合もあるだろう。

 本ブログで扱っている関連記事のリンクを以下に記す。何かしらヒントになれば幸いだ。

あなたは、このポスターが気持ち悪い理由を知ってますか?「日本人でよかった・・」

【戦前教育を幼児に強制する塚本幼稚園】教育勅語の犯罪性について考える。

【アインシュタインの言葉】権威に盲従するものは真実に対して盲目となる。

【教育勅語の礼賛、銃剣道の導入・・】戦前回帰の妄想が社会を息苦しくする。閉塞感を打開するヒントを紹介。

【世間知らず】愚劣な中学校長から生き方を強制された生徒たちに同情する。

【危険な組体操】崩壊事故の被害者生徒の声に耳を傾けよ。

以上

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「貧乏人に教育なんかいらねえんだよ!」がアベの本音である理由。

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 2017年5月3日、安倍総理は改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、憲法改正への意欲を示しました。

 そのメッセージの中で、教育無償化にも触れています。毎日がエイプリルフールのような安倍さんの言うことを簡単に信じる国民が多いことに驚かされますが、果たして、安倍さんは教育無償化を本気で実現する気なのでしょうか?現状の法的枠組みの中で最大限努力しているのでしょうか?

 答えは、社会的に弱い立場の人たちがどのように扱われているかで分かります。生活保護世帯の子どもたちが教育に関してどう不自由しているか、山本太郎議員が国会質疑で明らかにしています。何の罪もない貧困家庭の子どもたちに対する冷たい仕打ちを、下記ビデオで御確認ください。(2016年11月10日の内閣委員会)

 以下、書き起こしです。

書き起こし始め
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○山本太郎君
「ありがとうございます。自由党の山本太郎です。
会派を代表しまして、一億総活躍に関係する生活保護家庭の子供の進学についてお聞きします。
生活保護を受けながら大学に就学することは認めない、高校までのスキルで生きろ。大学の受験料や入学金につきまして、奨学金の収入認定除外の対象にはならないと毎回氷のように冷たい答弁が繰り返され、私はそのたびどん引きしていましたが、その状況をどうやら変えていただけたようなんですね。」

「まず、一枚目の資料を御覧いただきますと、今年五月十四日、朝日新聞の記事がございます。奨学金を大学などの受験料、入学金に使う場合、収入認定除外する通知を今年度中に出すという記事ですね。二年前に、アルバイト代などを大学等の受験料、入学金に使う場合、収入認定から除外するという通知が出されてから、更に二年掛かってやっとこの通知を出していただけた。厚生労働省、大変すばらしい判断、ありがとうございます。そして、この答弁を勝ち取ってくださった、現在は厚労副大臣の古屋さん、ありがとうございます。
先ほどの変更、この新しい通知についてなんですけれども、当然大学などでどのような考え方に基づいて行われたのでしょうか?」

○大臣政務官(堀内詔子君)
「厚生労働省といたしましては、子供の貧困対策に取り組む観点から、生活保護世帯の子供の大学等への進学や、就労による自立を支援することは大変重要な課題と考えております。
このため、本年五月三十一日付けで関係通知を改正し、奨学金等を大学等の入学料及び受験料、そして就職などに伴う転居費用などの被保護者の就労や早期の保護脱却に資する経費に充てた場合に、生活保護制度における収入認定から除外し、その金額が手元に残るよう運用を改めさせていただいた次第でございます。」

○山本太郎君
「ありがとうございます。
安倍総理も、子供の貧困問題に関して国会で次のように発言されているんですね。『子供たちの未来が家庭の経済状況によって左右されてはならないと、このように思いますし、望めば全ての子供たちが大学や専修学校に進学できるような状況をつくっていきたいと思います』。
この安倍総理の御発言は、一億総活躍大臣でもあり、子供の貧困対策に関わる加藤大臣のお気持ちと一致されていますでしょうか?」

○国務大臣(加藤勝信君)
「今、総理の発言をお述べいただきましたけれども、子供たちの未来が家庭の経済事情によって左右されることがあってはならないという考え、これは子供の貧困対策を担当する私としても、それを踏まえて進むべきものというふうに思っておりますし、そうした全ての子供たちが夢と希望を持って成長していける社会の実現に向けて総合的に施策を推進していきたいと考えております。」

○山本太郎君
「ありがとうございます。
現在、状況を見てみますと、高等学校等進学率は一般世帯で九八・八%、生活保護世帯で九二・八%。ですけれども、専修学校などを含む大学等進学率では、一般世帯七三・二%、生活保護世帯三三・四%と、これ大きく差が開くんですね。生活保護世帯の大学等進学率は一般世帯の半分にも満たないと。
子供の貧困をなくす、本気でそう考えるならば、まず最低限やらなきゃいけないことがあると。生活保護世帯の大学等進学率を高めるための支援の取組、特にこれが重要になってくるんじゃないかなと思うんですね。
先ほどの資料の記事によりますと、大学などの授業料、授業料ですね、これ、いまだに収入認定除外を認めていないということなんですけれども、どうしてこれ、授業料について認めてもらえないんですか?」

○政府参考人(中井川誠君)
「お答え申し上げます。
生活保護制度におきましては、利用できる資産、能力、その他あらゆるものを活用することを要件としておりますことから、高校卒業後は就学によって得られた技能や知識の活用を図って就労していただくこととしております。
このため、生活保護を受給しながら大学に就学することは認めておらず、将来大学の授業料に充てる目的で奨学金やアルバイト収入を収入認定除外することは実質的に生活保護費からその授業料を支払うことと同じになるため、認めていないところでございます。」

○山本太郎君
「政府が言っていること、総理が言っていること、一億総活躍大臣、子供たちの貧困ということを考える大臣が言われていることと真逆じゃないですか、やろうとしていること。それ、変えないのという話なんですよ。
で、どういうことなのか。授業料、これ、収入認定除外されないということはどういうことなのかということを説明したいと思います。
生活保護家庭の子供が自分で頑張って働いてためたアルバイト代や民間が出してくださった給付型奨学金を大学の受験料や入学金に使いました。結果、お金が余ったとなった場合、余った分取り上げますね、収入とみなしてって、これ、ひどいでしょう。
だって、元々国が出したお金じゃないですよ。自分で頑張って働いたお金、若しくは民間が出してくれたお金、どうしてこれ、収入認定して取り上げられなきゃいけないんですか。見かねて民間の方々が善意で出してくださったお金や本人がバイトしてためたお金を授業料に使うって、どうして国が出てくるんですか。行政が出てきて収入だから取り上げるという話って、おかしいでしょう、これ。
収入認定して取り上げるなんて、余りに中途半端で酷なんですよ。せっかく頑張って大学に合格したんです。余ったお金がもしあったとしたら、授業料に使うことも認めてあげてくださいよ。それ、人の道じゃないですか。貧困の連鎖を解消するため生活保護世帯の子供の大学等への進学支援は重要な課題、このように言われている。このような中途半端なやり方を放置せずに、授業料についても認めるべき、是非そこまで踏み込んで通知を出せるように動いていただけませんか?堀内政務官、いかがでしょう?」

○大臣政務官(堀内詔子君)
「お答え申し上げます。
生活保護制度においては、生活保護を受給しながら大学に就学するということは、働き得る場合にはその能力を十分に活用するという生活保護の要件との関係や、生活保護を受給されていない方とのバランスも考慮する必要があり、慎重な慎重な検討が必要と考えております。」

○山本太郎君
「いつまで検討するんですかという話も言いたくなるんですよね、本当に。今そこで苦しんでいる子供たち、たくさんいるということを知っていただきたい。
現在、生活保護を受けながら大学に就学することは認められていない。もし、生活保護世帯の子供が大学などに進学した場合、実際には同じように親や家族と同居を続けていても、観念的に世帯分離、つまり、一緒には暮らしているけれども、いないものとして扱い、進学した者の分は生活扶助費が支給されなくなるというルールになっていますよね。そのため、生活保護世帯の子供が大学等に進学する場合、学費と生活費を奨学金やバイト代から自分で全て賄うことになると。学ぶために大学などに進学したのに、実際は多額の奨学金を借り入れ、ほかにもアルバイト掛け持ち、働き続けなきゃいけない、生活できない、こういった状態で進学した意味ってあるんですかね。」

「生活保護世帯の子供が大学などに進学した場合、世帯分離で保護費を打ち切る扱い、やめていただきたいんですよ。生活扶助費を支給するように運用を改めていただきたい。生活保護世帯の子供、大学などに進学しているのは全国で四千五百五十人ほど。一人当たりの生活扶助費は都市部でも四万円程度なんです。これ、現在、生活保護世帯から大学などに進学する子供に全員に支給したとしても、約二十二億円ほど。たった二十二億円というと、財源どうするんだという声も飛びそうですけれども、このような投資が将来大きなリターンとなって返ってくるというお話をしたいと思います。」

「日本財団による推計、子供の貧困対策をしなければ、二〇一三年時点で十五歳の子供の生涯所得の合計は二・九兆円少なくなり、それによって税金など将来の政府の収入も一・一兆円減る、このような発表をしている。この推計、当時十五歳の一学年だけを対象とした結果で、ここでいう貧困の子供とは、生活保護世帯、児童養護施設、一人親世帯の十五歳の子供十八万人を指す。」

「この一学年の子供に貧困対策をすれば、政府の財政収入、一学年で一・一兆円改善するという試算なんですよね。じゃ、これ一学年だけじゃなくて、ゼロ歳から十五歳の子供全員を対象とした場合、対策した場合で推計を行ったら、所得は四十二・九兆円増えて、財政収入に至っては十五・九兆円増に達すると。」

「これは、加藤大臣、長い目で見たら、子供の貧困対策、これ十分にリターンが期待できるという意味のある先行投資と言えるんじゃないかなと思うんですけれども、この件、検討してみる値打ちってあるんじゃないかなと思うんですけど、いかがお考えですか?今の推計を聞いて。」

○国務大臣(加藤勝信君)
「たしか日本財団でしたかね、の推計だというふうに思いますし、その推計にはいろいろな考え方があるんだと思いますけれども、やはり子供さんあるいは若い方々に言わば未来への投資という形でそうしたことを行っていくと。そしてそれによって、言わばそうしなかった場合にむしろ社会の中で落後してしまい、逆に生活保護等の対象になっていく。他方で、将来に対する希望を持ってそれを切り開いていくことによって、自らがその夢を実現し、併せて所得等を稼得することによって言わばタックスペイヤーになっていく、もちろんその差というのはかなりのことがあり、それをそういった形で集計されたものというふうに考えております。
そういう意味で、個々の政策について一つ一つ申し上げる立場ではありませんけれども、ただ、トータルとしては、総理もおっしゃっておられるように、その生活環境によって将来が左右されないように、そして若い方々がその夢と希望が実現できるようにしっかり取り組んでいくというのは我々の基本的な姿勢であります。」

○山本太郎君
「これは、本当に子供たちに対する先行投資をすればリターンがあるんだと、財源はどうするんだじゃないんだ、これは先行投資なんだという話なんですよね。
日本財団は、他学年やこれから生まれる子供について考えれば経済への影響は甚大、子供の貧困対策を経済対策として捉えて、格差の解消に有効な施策を模索することが求められると指摘しています。これ、子供の貧困を解決することが将来の税収入を上げると、そのためには大学等の進学率を大幅に上げる必要がある、そのためには当然大学などで勉強できる安定した経済的環境などの先行投資必要だという話ですよね。」

「まず手始めに、生活保護世帯の子供が大学等に進学した場合、世帯分離で保護費を打ち切る扱い、これやめていただきたい。堀内政務官、生活扶助費を支給するように運用を改めるということを、まず政務三役でシェアしていただけないですか、お話ししていただけないですか。ごめんなさい、今ちょっとペーパー入ったと思いますけど、厚労省の立場としてというよりも、政務官、是非今のお話を政務三役でシェアしていただけませんか?お話ししていただけませんか?ペーパーにはない話です、これは。済みません。」

○大臣政務官(堀内詔子君)
「委員御指摘のとおり、子供たちの未来がその家庭の経済状況によって左右される、それはこの日本の将来にとってゆゆしき問題だと思っております。様々な経済的困難を抱えている生活保護世帯の子供たちに対してきめ細かい支援を行っていくこと、その必要性は感じております。

今後においても、生活保護世帯や制度の見直しの中で子供たちの自立支援にとって必要な措置を引き続きしっかりと、この国への先行投資という覚悟の下に続けてまいりたいと思っております。よろしくお願いします。」
(以下略)
**************************
書き起こし終わり

 現状の憲法・法的枠組みの中でも出来ることはたくさんあるのに、言い訳ばかりでやろうとしない。安倍総理の本音を忖度し、「貧乏人に教育なんかいらねえんだよ!」と言わんばかりなのが良く分かりますね。安倍政権が続く限り、高等教育も含めた無償化など夢物語なのです。貧富の格差がさらに拡大することは間違いありません。

 「教育無償化を実現したいから憲法をいじらせろ」なんていう安倍さんの妄言を、くれぐれも信じないようにしましょう。

以上

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学費が無料でなければならない理由をあなたは知っていますか?

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図(大学の初年度に支払う学費の国際比較) 出典:togetter.com
図(大学の初年度に支払う学費の国際比較) 出典:togetter.com

 日本の大学の学費は、国際的に見て異常な高さです。学費は原則無料が世界の潮流であり、正しい考え方です。なせ学費は無料でなければならないのか?今回はその理由を考えてみます。

 まず、高い学費が引き起こす弊害を述べます。

1)生まれ育った家庭の経済力により、受けられる教育の機会が規定されてしまう。
 家庭の経済力などは子供には責任がありません。生活保護を受けている貧困家庭であっても、本人に能力とやる気が備わっているならば、大学や大学院への進学を自然に選択できるようにすべきです。最近の学費高騰をみていると、「貧乏人は大学に行かなくていい」と言わんばかりです。大学はお金持ちだけが行くところではありません。

2)奨学金という名のローンを若者に背負わせる。
 大学を卒業し社会に出た時に多額の借金を背負っていると、収入が不安定な場合、返済が滞って金融機関のブラックリストに載ってしまう可能性があります。親が裕福な人は借金を背負わずに社会人としてスタートすることができます。すごく不公平ですね。

ここで、日本国憲法の第14条第1項を確認しましょう。

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

 経済的に恵まれない家庭の子供だという理由で、学ぶチャンスを奪ったり、不当な借金を背負わせてはいけません。日本で長年放置されてきた学費高騰がすべての元凶です。憲法に書かれている人間平等の原則に反している状態です。

 政治家は、人間平等の原則という憲法理念を実現するために、法律を含めた社会制度を整える義務があります。上記1)、2)の不平等・不公平を解消するには、学費を無料にすることが有効です。だから、学費は無料でなければならないのです。

 現行の日本国憲法は、高等教育まで含めた学費無料化を後押ししてくれています。あとは、政治家のやる気次第です。安倍総理は、「憲法改正しないと教育無償化できない」みたいな発言をしていますが、明らかな間違いだということが分かりますね。
 

 高校・大学までの段階的な無償化を定めた国際人権A規約(13条2項b、c)は1966年に採択され、日本は1979年に批准しました。しかし、「無償教育の漸進的導入」の規定については、歴代自民党政権が長年にわたり留保し続けてきました。「国家財政の条件が整ってないから」というのが留保の理由ですが、やる気のなさを隠すための見苦しい言い訳ですね。他の無駄遣いを削減すれば済む話です。

 安倍政権がやっていることは、歴代自民党政権の中でも最悪の部類です。学費の値上げや教育関連支出の削減によって、社会的格差が固定されつつあります。軍事予算や海外へのバラマキには何の躊躇もないのに、教育関連に対する支出はとっても渋ります。なぜでしょうか?以下に理由を考えました。


 学費を無料にすると、努力次第で誰でもチャンスをつかむことができてしまう。そうすると、既得権益層の立場が危うくなる可能性があるので、それを恐れている。世襲議員が多数派を占める自民党議員が考えそうなことですね。


 安保法制が成立したことにより、戦争に巻き込まれることを恐れた自衛官の退職が相次いでいます。当然の現象です。このままでは人員不足に陥ることは目に見えているので、若者を補充しなければなりません。しかし、危険なことはみんな避けるので、普通に募集したのでは人が集まらない。そこで、多数の若者に合法的に多額の借金を負わせて、生活が困窮するように持っていき、金銭条件が魅力的な自衛官募集広告を出す、という訳です。いわゆる経済的徴兵制により、いつでも兵士を補充できるようにしておきたいのです。悪質ですね。

 経済的徴兵制の定義(ウィキペディア)

「軍人が特に魅力的な職業とは見られない国の場合、志願制度では軍隊の補充の問題が避けられない。一方、国の一部に経済的に貧しい地域、または経済的な発展から取り残された地域がある場合、仕事も金も技術も学歴もないその地域の人々にとって、基本の衣食住や兵役中の高い金銭的報酬に加えて資格の取得や高等教育を受ける際の奨学金など退役後のキャリアパスまで保証される軍人という職業は逆に魅力的な選択肢に映る。
貧困地域では経済的理由で高等教育が受けられず、そのために専門知識や学歴が必須とされるような賃金の高い仕事に就けない結果となり、貧困が再生産されている。このような状況から抜け出すため、真に自発的な意思ではなく兵役に志願せざるを得ない状況があることを知りながら、政府がこの経済格差を是正しないばかりか、むしろこの状況を放置し利用することで新兵をリクルートしている実態がある。経済的弱者が兵役を強いられるこの状況を事実上の徴兵制とみなし、非難する意味合いを込めて「経済的徴兵制」と呼ぶ。」

最後に:
 家庭の経済状況に関係なく、若者が将来に希望を持てるようにしなければなりません。やる気と能力があれば、誰でも大学教育を無料で受けられる社会にしなければならないのです。そしてそれは、現行の憲法下で十分に実現可能です。戦前回帰願望が強い安倍総理に憲法改悪させたら、教育無償化の実現が遠のくだけです。

以上

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あなたは、このポスターが気持ち悪い理由を知ってますか?「日本人でよかった・・」

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 このポスターは、街中で多数目撃されており、ネット上でも物議を醸している。「葬式用の写真か?」「不気味」「怖い」など、評判は散々のようだ。このポスターが気持ち悪い理由を今回は考えてみる。

 学校教育の目的の一つは、健全な批判能力を養うことである。健全な批判能力とは、弱いものをイジメるということではない。自分より権力がある者の行動や発言を監視し、必要とあらば冷静に批判する勇気を持つということだ。

 上役の言うことは何でも素直に受け入れ、議論もせず、他人の目を気にして空気ばかりを読もうとする人間には、社会を進歩させる力はなく、逆に腐敗と堕落をもたらす。自国の美しい部分ばかりに目が行き、歴史上の過ちから目をそむける人間は、同じ過ちを何度でも繰り返す。過去の政治権力者たちは、腐敗と失敗の歴史であり、批判の対象と捉えるのが正しい姿勢である。批判的思考とは、高度に知的な営みであり、価値ある態度である。

 歴史・社会・政治などを教える立場の先生は特に、事実に基づいて権力者たちを冷静に分析・批判する能力が求められるし、生徒にも批判的な見方を指導しなければならない。単に知識を授けて、覚えたかどうかチェックするだけならば教育者としての役割を果たしたことにはならない。教育者は政治的に「中立」であってはならない。生徒を無知で無気力にするような授業をしてはならない。喜ぶのは悪徳権力者だけである。

 政治権力者は、教育機関を大衆洗脳のための道具として活用する誘惑に常にさらされている。教科書から都合の悪い事実をすべて削除したいのだ。生徒が授業中に議論したり意思表示する機会を奪いたいのだ。中央集権的な官僚システムによって、教師を思う通りにコントロールしたい願望に駆られている。問題意識のある教師には圧力をかけ、言うことを聞かなければ駆逐の対象とする。古今東西、権力者と名のつくものが考えることは同じである。教師たちは政治的な意識を強く持ち、教育現場へ権力者が介入することに抵抗し続けなければならない。

 安倍政権は、掲げる政策の良し悪し以前に、法的な枠組みを破壊し国家の土台を崩している。まさに、戦後最低最悪の内閣である。安保法制の成立過程を振り返れば、誰でも納得するはずだ。

関連記事リンク:
「安保法制成立までに用いられてきた反則技、劣悪政治家たちの暴言、及び、伊藤真弁護士の親切解説を紹介」

 安倍内閣を批判しない教師が日本の学校にいるのだろうか?もしいたら、その人は職務怠慢だと言わざるを得ない。生徒の知的好奇心を衰退させ、無気力で政治的無関心な有権者を作り出す結果をもたらすものであり、罪であると言える。しかし実際には、安倍内閣を批判するような教師はまれであり、もし批判していることが判明したら処分の対象になるのが現実である。実力・自身のない政治家ほど、弱者を力でねじ伏せようとする。強圧的な態度は、弱さの裏返しである。

 神奈川県相模原市のやまゆり園で、無抵抗な障がい者の大量殺戮事件が起こったが、容疑者は、安倍総理などの反動政治権力者に媚びる態度を見せていたという。強いものには素直に従い、自分より弱い者に刃を向けるとは卑劣極まりないが、長年に渡る日本の教育の「成果」と言えるだろう。この容疑者に共感するものは皆、劣悪な日本の教育による被害者である。

 初めの主張を繰り返す。

 学校教育の目的の一つは、健全な批判能力を養うことである。健全な批判能力とは、弱いものをイジメるということではない。自分より権力がある者の行動や発言を監視し、必要とあらば冷静に批判する勇気を持つということだ。

 何の問題意識もなく素直に日の丸を掲揚し、君が代を斉唱しても、社会は良くならない。悪徳権力者が薄ら笑いを浮かべるだけだ。無気力で知的に怠惰な人間が大量に生み出されるような学校教育を放置していたら、日本は再び戦前の過ちを繰り返すことになるだろう。

 このポスターが気持ち悪い原因が分かっただろうか?「私、日本人でよかった」「誇りを胸に日の丸を掲げよう」。もっともらしい言葉の裏には、「ツベコベ言わずに大人しく従え!」というファシストの本音が隠れているのだ。反動極右勢力による愛国心推進プロパガンダは、大衆の感情面に訴えかけることが多く、非常に胡散臭い。下記リンク先の記事も参照して警戒を強めて欲しい。

「愛国心」という言葉を使う政治家を信用してはならない。その理由とは?

安倍政権が多用する悪質なプロパガンダ事例を紹介します。気をつけないと日本国民はすぐにダマされる。

以上

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【戦前教育を幼児に強制する塚本幼稚園】教育勅語の犯罪性について考える。

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 安倍総理夫妻の信頼が厚い塚本幼稚園では、戦前の教育勅語を園児たちに唱和させているという。

 日章旗を園児に持たせるなど、軍国主義を礼賛する人間に育てたいのだろうか?

写真(日章旗を振る塚本幼稚園の園児たち)
写真(海軍慰霊祭に参加する塚本幼稚園の園児たち)

 戦前に教育を受けた者は、教育勅語を骨の髄まで染みるように徹底的に叩き込まれたという。一体どんなものなのか考えてみたい。

 以下に、教育勅語を現代語訳したものの一例を示す。

 明治23年に発布された教育勅語の特徴は以下の4点である。

・代々の天皇家はみな立派な人格者揃いであったという荒唐無稽な作り話によって、天皇を権威付けしている。
・大昔から日本人は天皇に忠誠を尽くしてきたという歴史改竄が行われている(明治以前、日本人は天皇の存在すら知らなかった)。
・封建的でカビの生えた家父長制・上意下達の徹底
・天皇を崇拝し、盲目的に隷従し、いざとなったら天皇のために命を投げ出すことを強要している。

 以下の文献も参考にして頂きたい。

マンガ 日本人と天皇

 今でもそうだが、戦前の日本人も健全な批判能力とは無縁であり、教育勅語の押し付けに易々と屈してしまった。その結果が、無謀な戦争への突入であり、国内外に無数の犠牲者を生むこととなった。無能な指導者を諫めて、間違いを止めるという基本的能力を欠いていたのである。

 問題意識の低い無能な国民が無能な政治的指導者を生み出し、自滅したのである。残酷な言い方だが、これが事実である。無数の日本の若者が前線で無惨な犬死・無駄死をさせられても、その事実を見ようとしない。お国のために命を捧げたのだから靖国神社に英霊として祀る、という行為はゴマカシであり、歴史的事実から学ぶ人間がすることではない。諸外国に対して侵略戦争を行ったことも認めようとしない。「八紘一宇」(世界中を天皇の支配下に置くこと)を掲げて、正しいことをしたんだと、平成時代に入っても言い張っている。外交能力などというものは日本には無縁なのだ。

 教育勅語は決して昔話ではなく、現代に生きる日本人の中で、その精神は強力に息づいている。目に見えないので普段意識していないだけだ。自分の考えを持たず、周りの空気ばかりを読んで、出る杭になることを恐れ、長いものに巻かれることを好む。権威的なるものに無批判に追従する奴隷根性は、戦後から70年以上経ってますます強化されているように見える。原発政策、安保法制、共謀罪・・・。事例を挙げればキリがない

 教育勅語の精神を尊重するということは、自立した人間としての尊厳を捨てることに等しい。非理性的で、安易で、堕落した態度だと言わざるを得ない。進歩の対義語である反動という言葉がふさわしい。

 支配する側の1%にとっては、国民がみな教育勅語に毒されている状態が理想だろう。財産だけでなく命も惜しげなく差し出して権力者を支えてくれるのだから、こんなに有難いことは無い。

 塚本幼稚園における教育勅語の強制は、愚かな支配階層の妄想を具現化したものだ。日本語も満足に話せない幼稚園児に教育勅語の原文を唱和させて何の意味があるのか疑問だが、支配階層の自己満足に過ぎまい。いきなり、大学で教育勅語を教えようとしても反発されることが分かっているから、抵抗が少ない幼稚園でコソコソと始めたのだろう。反動右翼というのはどこまでも姑息である。次なる夢は、小学校での実践らしい。残念ながら認可されなかったようだが・・・

 繰り返しになるが、教育勅語の害毒は決して大昔だけに存在したのではない。塚本幼稚園という閉鎖空間で幼児たちが暗唱させられているだけではないのだ。その精神は、現代日本人の無意識下に沁み込んでおり、無数の不幸を生み出す源泉となっている。

 本記事に少しでも共感して頂いた読者には、下リンク先の記事もオススメしたい。ネトウヨが読んだら発狂しそうな内容なので、まともな人には得るところが多いはずだ。

戦争の悲劇を後世に伝えたいならば、被害者視点だけでなく加害者視点も必要だ。

以上

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【アインシュタインの言葉】権威に盲従するものは真実に対して盲目となる。

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 今回は、学校教育の問題について論じた記事を紹介します。リンク先を下に示します。

Albert Einstein: “A Foolish Faith In Authority Is The Worst Enemy Of The Truth”

 上記リンク先記事の邦訳を以下に記します。参考にしてください。

邦訳始め
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子供は、本人の意思と関係なく、既存の知識を常にお仕着せさせられる立場にある。教師は子供と対話しているのではなく、一方的にしゃべっているだけである。批判的思考を養うのではなく、情報を鵜呑みにすることが何よりも求められるため、学ぶ能力が徐々に失われていくのだ。

「権威に盲従するものは真実に対して盲目となる」
偉大な哲学者でもあったアインシュタインが残した言葉について考えてみよう。
何十年も昔、アインシュタインは、人間性が失われる原因について思いを巡らせていた。矛先は学校の教育システムに向いた。模倣者を生み出すところでしかない学校を我々は妄信し、子どもたちを預けている。我々は、権威は正しいと教え込まれており、権威を疑うことはしない。

子供たちは、教育工場の一部になることを要求される。学校で退屈な一般論を押し付けられて生徒が無気力になっている一方で、自宅学習では子供が生き生きとしていることが珍しくない。彼らは、ADHD(注意欠陥・多動性障害)と見なされてしまう場合もある。Ken Robinson氏は、この問題を学会で扱っている。

自宅学習では子供たちが型にはまらず考えることができ、批判的思考も養われる。そこでは上意下達の環境から解放され、疑問を持ち、答えは一つでないことを学ぶことができる。自分で答えを見つけるように促されると、子どもたちは生き生きとし、成長する。

私は、既に退職した歴史の教師と、6~8歳の子どもを受け持っている現役教師の二人と話をした。二人とも、今の学校は適応障害を起こしている生徒で溢れていると結論付けている。

以下は、退職した元教師のコメントだ。
「なるべく幼少時に生徒の興味関心を引き出さなければならない。外の世界に一番興味を持つ年齢は8歳だ。興味を引き出しさえすれば、子どもはずっと生き生きと学び続ける」
退職した今、彼は、子どもたちに地元の町を案内している。自分たちの住んでいる世界、歴史、未来について考えてもらうためだ。

今の学校では、生徒たちに押し込み教育を行っている。学ぶとは、あらゆることに疑問を持つ過程である。いつ?、どこで?、なぜ?、だれが?、どうやって?
押し込み教育だけを受けてきた者がジャーナリズムの世界に入ってきても、権力に対して批判ができないのは当たり前である。教育システムの弊害は、社会のあらゆる分野で現れている。

かつて、ソクラテスは次のように述べた。「私は誰にも何も教えることはできない。彼らに考えさせることしかできないのだ。」
インタビューに応じてくれた二人の教師は次の点で一致していた。
「子供たちには、何を考えるかではなく、どのように考えるかを教えなければならない。」
***************************
邦訳終わり

以上

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【教育勅語の礼賛、銃剣道の導入・・】戦前回帰の妄想が社会を息苦しくする。閉塞感を打開するヒントを紹介。

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授業中の風景

 知識を詰め込むだけの教育ほど、人間の精神を疲弊させるものはないと思う。私の学生時代を振り返ってみても、ほとんどは退屈で苦痛の思い出しかない。いちばんツラかった教科をあえて挙げるならば、それは歴史である。まるでロボットのような教師が時系列に無味乾燥な事実を並べていくだけ・・・。授業は睡魔との闘いであり、試験前でも教科書を読み直す気にもなれず、落第点を取らないような対策をするだけで精一杯であった。

 歴史だけではない。受験に関わる他の主要教科を担当する先生方は皆、一生懸命に生徒へ知識を授けようとしていたが、私の知的好奇心を満たすものは皆無であった。偏差値を上げて受験戦争に勝てば他人より良い人生が拓けるという幻想が存在しなければ、苦痛に耐えつつ真面目に取り組むことなどしなかっただろう。

 大学に入学して他の学生を観察してみると、廃人同然とは言わないが、気力も元気も知的好奇心も失った者たちで溢れていた。私自身理科系だったが大学の授業のほとんどには興味が持てず、自分が面白そうだと思える本を自分で見つけ出し、それらを自主的に読むことに多くの時間を費やしていた。

 先ほど、無味乾燥な歴史の授業を悪く言ったが、すべての生徒が私と同じ考えを持っていた訳ではない。「ああ、歴史の教科書を読むのは楽しいなあ。」なんてセリフを言っている者もいたのだ。彼は、私が感じていた苦痛を全く感じていないようだった。彼はいわゆる秀才であり、東大に現役で合格し、卒業後は官僚になった。

 教育、授業、学習といったものは、こんなにもツマラナイものなのか?と思っていた頃、本屋で偶然「シュタイナー教育を考える」(子安美知子著)という背表紙を見つけた。この教育哲学はドイツが発祥のようだ。

シュタイナー教育を考える (朝日文庫)

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 本著を二十数年ぶりに読み返してみた。その原理・目的や考え方、実践を以下に列挙する。

・「子どもが、自分で自分をしっかりとらえ、一番深い内部の欲求から、自覚的に行動すること」を教育目標としている。
・「成人して、世の中へ出ていくとき、外の権威に頼ったり、世の中の趨勢に左右されたりしないで、自分自身の内部で考え、その考えたことには自己の感情がこもっており、しかも、その考えたことを実行できる」状態を自由という。その自由へ向けて教育を行う。
・小学生が受ける生活科の目的は、「人間によって作り出された世界を、単なる傍観者としてではなく、直接肌で強く実感すること」である。
・最初から、「円の面積は半径の二乗×3.14なんだよ」と言ってしまうのではなく、まず自分で試行錯誤し見当をつけてみる過程を必ず踏む。
・画一ではなく個性、受け身ではなく能動、手本をまねるのではなく創造的であることを重視する。
・決まった答えがない発問をしたり、困難な状況に直面しながらもゆっくり時間を掛けながら解決に進んでいくやり方ならば、知識自体は忘れても子どもの力になる。
・先生自身が、身体そのものや生命体、感情体の固化している状態を動かそうという自覚をもって子どもの授業にあたる。

 シュタイナー教育が完全無欠だとか、一番優れている、などと言うつもりはない。試行錯誤しながら進歩を続けているのだと思う。しかし、シュタイナー教育を実践している学校が二十数年前は全世界に数百校だったのが、今は千校を超えている。ゆっくりだが、着実に増えているということは、徐々にその価値が人類社会に認められつつあるということだろう。

 ドイツでも、シュタイナー教育を実践しているのは、多くの学校のうちの一部に過ぎない。しかし、このような人間の根源に目を向けた教育哲学と実践を生み出すドイツという国には敬意を払わざるを得ない。

「他国の原発事故を教訓として原発全廃を決めた国」
「自国の加害者としての歴史的側面を重視し、失敗を繰り返さないように心掛けている国」

 これだけを見ても、教育の役割の大きさを認めないわけにはいかない。一方、日本はどうであろうか?

「自国で原発事故を起こしても現実を直視せず、事実を隠蔽し、同じ過ちを繰り返す国」
「自国の被害者としての歴史的側面には目を向けるが、加害者としての事実は感情的に拒否し、そればかりか迷惑をかけた諸外国を侮蔑し、国際的信用を失っている国」

 形だけの民主主義は存在するが実質機能せず、お任せ民主主義が根付いている。苦労知らずの愚かな人間を権力者として選び、社会の閉塞状況を生んでいる。立ち止まって自分の頭で考えることを止めてしまった多くの日本国民は、精神を疲弊させるだけの無味乾燥な詰め込み教育の犠牲者ではないだろうか?本当に、このままで良いのだろうか?

 下写真は塚本幼稚園の子どもたちだが、彼らの受けている教育は決して特殊ではなく、日本社会の欠陥を象徴していると思う。他人事ではないのだ。



 日本人は、歴史上の失敗から学ぶことができない民族だというのは国際社会の評価として定着しているが、それを一層強固にしたのが、下写真に代表される政治家たちだ。実際に、教育勅語の価値を認める閣議決定までしているのだから救いようが無い。個人を尊重せず、権力者のために命を投げ出せ、などという考えに賛同するマゾヒストが日本では多数派を占めるのだろうか?大問題にならないのが本当に不思議である。

写真(教育勅語を取り戻すべきと発言する稲田防衛大臣)

 銃剣道という人殺しの手段を、学校教育で教えようとする動きも見られる。進歩とは真逆。戦前回帰の妄想にとらわれている反動右翼政治家を主流派にしてはならない。

写真(銃剣による刺殺場面)

 哲学がなく、人間の根源に目を向けることもない。戦前の教育を戦後も続けてきてしまった結果、日本社会はひどい閉塞感に悩まされている。下記のような評価をされても反論できまい。

 話を元に戻そう。
 
 教育制度を変えても、その効果が表れるのには何年も何十年もかかる。本記事で紹介したシュタイナー教育の哲学が、今すぐ日本社会に受け入れられるとも思わない。しかし、日本社会の「常識」が決して万能でないことを知るためにも、一読の価値はあると考える。

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以上

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【世間知らず】愚劣な中学校長から生き方を強制された生徒たちに同情する。

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出典:ガベージニュース
出典:ガベージニュース

 日本社会の精神的貧困を象徴するような記事をネット上で見つけました。下にリンクを貼ります。

「子を産めない人は寄付を」 「2人以上」発言の校長

 大阪市鶴見区にある市立茨田北(まったきた)中学校の寺井寿男校長(61)の発言と、それに対する私の疑問・考えを述べたいと思います。

寺井寿男校長の発言1:
「女性にとって最も大切なことは、子どもを2人以上産むこと。仕事でキャリアを積むこと以上に価値がある」
「人口が減るなかで、日本がなくならないためには女性が子どもを産むしかない。間違った発言とは思わない」

 女は仕事よりも子供を産み育てることを優先せよ、国家のために国民が存在するのだ、子供をたくさん産んで国家繁栄に力を尽くせ、というメッセージです。戦前回帰願望が強い時代錯誤団体の日本会議を連想してしまいました。
 こんな発言を女子生徒が聞いて、素直に子供を産みたいと思う筈がありません。寺井寿男校長は発言の間違いを素直に認め、謝罪した方がいいでしょう。

参考リンク:
【独善的?戦前回帰願望?】安倍内閣を占拠している日本会議とは何か?

寺井寿男校長の発言2:
「生徒や保護者から直接おかしいという声は届いていない。私の発言で傷ついた生徒がいたなら真意をきちんと説明する」

 日本の学校教育現場には、話し合いをするという風土がありません。上意下達が基本です。校長という権力者がおかしい発言をしたとしても、それに反論する声が直接生徒から届くことは普通はありません。受験での内申書に響くのでは、という疑心暗鬼・恐怖心があるからです。お互いに実りある話し合いがされることを予想できなければ、勇気を出して校長へ直接反論することはありません。この校長は、反論が自分のところに直接届いていないので、生徒たちは全員納得している、と考えているようです。住んでいる世界が狭いのですね。

寺井寿男校長の発言3:
「出産を強いているわけではない。子育てが楽しいということを伝えたかった」

 上記の寺井寿男校長の発言1を見ればわかりますが、この校長は女性に対して出産を強いています。実質的な前言撤回ですし、矛盾が生じています。このような一貫性のない態度は、国際社会では最も忌み嫌われる原因となります。誰からも相手にされなくなります。もしかして、寺井寿男校長は安倍総理と同類の人間なのでしょうか?
 寺井寿男校長は、子育てを楽しいことだと考えているようです。子育ての楽しさを伝えたいならば、自分の体験談・失敗談を素直に飾らずに語ればよろしい。あなたが誠実で信頼できる人間だと生徒が判断すれば、強制されなくても自然に真似をするようになるでしょう。

寺井寿男校長の発言4:
「男女が協力して子どもを育てるのが社会への恩返し。子どもが産めず、育てられない人はその分施設などに寄付すればいい」

 子づくり・子育ての強要、国家への恩返しの強要です。奴隷でもないのに、強要されて素直に従う人間はいません。
 どうしても子供が産めない・育てられない人間は、仕方がないからお金を出せ、と言われて素直に寄付しようという人が現れるでしょうか?子供が産めない・育てられない人の中には、悩み苦しんでいるケースも多いはずです。想像力・共感力・思いやりを欠いた視野狭窄人間を、社会的責任がある立場に就けてはいけません。

寺井寿男校長の発言5:
「子育てのあと、大学で学び専門職に就けばいい」「出産や子育て後も学び直しはできる。女性がキャリアアップで不利にならないようにするべきだ」

 女は子供を産んで子育てが終わった後に大学で学べばいい、というお考えのようですが、二十歳前後の大学生の中に女性が存在してはならない、ということでしょうか?当たり前のことですが、いつ大学に行く・行かないを決めるのは個人であり、他人が指図することではありません。
 女性がキャリアアップで不利にならないようにという問題提起は、一般論として耳障りが良いですが、女性蔑視の妄言をたくさん聞かされてしまったあとでは、空しく響きますね。

最後に:
 教育の仕事を長年してきて、校長まで務めた寺井寿男氏。彼は自分が吐いた暴言で晩節を汚すことになりました。大阪市の教育委員会は、不適切発言として処分を検討しているそうです。
 多様性を無視し、画一的で硬直した考えを押し付ける息苦しい社会は、衰退し消滅する運命にあります。寺井寿男校長の発言自体が、少子化を加速し、日本を衰退させる原因になっていると思います。

以上

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【組体操】事故被害者の声に耳を傾けるべき理由。

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写真(組体操) 出典:不明
写真(組体操) 出典:不明

 小学校や中学校では、上写真のような組体操を生徒にやらせています。崩壊事故で生徒が大けがをして、ニュースになることが多くなりました。事故件数は、記録に残っているだけでも毎年約8000件に上ります。

 実際にどのようなものなのか、次のYouTubeビデオをご覧ください。崩壊事故の様子も確認できます。

 誰が見ても危険な行為だと分かります。実際どれだけ危険で恐ろしいものかは、やらされている生徒でなければ分からないでしょう。一番下の生徒には、一人当たり100~200㎏程度の力が加わるそうです。上のビデオでは、事故が発生しても観衆は呑気に拍手をしており、見ていて寒気を感じます。エンターテイメントとして楽しんでいるのでしょうか?きっと、人間としての基本的想像力・共感力が欠如しているのでしょう。

 組体操のような恐ろしい行事が「伝統」として長年続いている原因を考えてみました。

・体育祭や運動会を見に来る保護者に対して受けが良い。ショー化が定着している。
・教師にとって、生徒を統率する手段として都合が良い。
・長年続いているものを中止にするよう提案するのは、保護者にとっても教師にとっても大きな勇気が必要。非難を浴びて学校組織内で冷遇される危険があり、なかなか言い出せない。惰性に流されるのが一番楽である。
・学校組織も基本的には上意下達であり、問題意識を持つ末端の教師が上に対してモノを言いにくい雰囲気がある。
・生徒の声に耳を傾けた上で、問題点の抽出・原因の特定・対策の決定をするという、話し合いの場がない。
・事故が起きても、保身に走る管理職(校長など)は事故の隠ぺいに走りやすい。現場の教師も上司の御機嫌取りを最優先に考え、事実と異なる嘘の報告をすることが多い。
・その他・・・?

 事故のニュース、教師や教育行政に関わる人たちの意見を聞いても、組体操の実態をつかみにくいと思います。

 そこで、組体操の崩壊事故で重傷を負った生徒が、馳文部科学大臣に宛てた手紙を紹介いたします。

引用元リンク:
「先生が、絆なんだよ!伝統なんだよ!と言っていた」組体操事故の被害生徒が馳文科相に怒りの手紙

引用始め
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はじめまして。突然のお手紙ですみません。
私は2014年5月12日(月) 小学校6年生の体育の授業で運動会で行う組み体操の4段タワーの練習をしていました。
先生が 絆だから!絆なんだよ! これは●小学校の伝統なんだよ! と言っていました。
しかし練習中に事故が起きました。
私は4段タワーの最下段で四つん這いになっていました。上から2段目と最上階が一緒に立ち上がろうとした時、3段目も一緒にバランスを崩しタワーが崩壊して私の体に上からドワーっと落ちてきました。
急に体にものすごい重圧がかかってきてその時死ぬかと思いました。すっごく怖かったです。
体を動かす事が出来なくて力が入らなくて、今までに感じた事のない痛みが全身にきて息をするのも辛かったです。私は悲鳴をあげてしまいました。あの時の恐怖は今も覚えています。
私は左手首靱帯損傷、左肘の脱臼、骨折をしました。
手術室に入る前の不安や恐怖から大泣きしました。手術が終わって説明出来ないくらいの痛みがきました。そんな痛みをもう誰にもさせたくないです。あの苦しみや痛みをこれ以上誰かがしなくてすむようにして下さい。
生まれて初めての手術と入院、痛みや不安や恐怖。事故の場所から私や家族の人生も変わってしまいました。受験を予定していましたが、それも出来る状態ではなくなりました。
小学校生活、最後の楽しい思い出つくりは何もありませんでした。
音楽鑑賞会、ミュージカル、遠足、修学旅行、プール、バレーボール…。全て失いました。
たくさんの普通に出来ていた事が出来なくなる苦しみがわかりますか?!
食事や着替え、トイレやお風呂、鉛筆を持ってノートに書く、消しゴムで消す事が出来ない。
普通に毎日やっていた事が授業が生活が出来なくなる苦しみがわかりますか?!
卒業までに3回の手術をしました。母が卒業証書は右手だけで受け取れるようにと一緒に練習してくれました。本当に辛い毎日でした。
でも、あの時、事故にあったのが私だけでよかった。と思いました。
今も、いつくるかわからない痛みにたえる日々を過ごしています。傷も一生残ります。母に五体満足に生んでもらったのにひどいです。
事故の時、体育館で担任の先生や校長先生につかれた嘘。信じられません。
体育館の床に倒れたまま聞きたくなかったです。
そこまで事故を隠し守ってでもやる組み体操の意味は何ですか?
やる意味は伝統という言い訳だけだと思います。
学校で守るのは私達子供の命だと思います。
事故の数だけ子供達被害者がいます。これ以上被害者を増やさないで下さい。
学校は同じ過ちを繰り返さないでほしい。
無責任な対応をしてきたから、たくさんの被害者が出ました。その被害者の数だけ未来を将来の夢やたくさんの可能性を学校の先生が私たちからうばってきたわけです。
一人でも事故がおきたら国が直ぐ危険な事です。と、対応をしてくれていたらと残念におもいます。
組み体操を続けるならこれからは責任を国がとってくれるのですか?
無責任な検討はしないで下さい。組み体操は学校でやらなくていいことなので種目を変えて下さい。
行進なら日本体育大学の人たちもやっていてすごいです。
中学入学前、中学の校長先生から「体育の授業で実技はやらないと点数は0点です。」と言われました。酷いです。
私だってやりたくても出来ないのに…。
時間を元に戻してほしい!
私の心の傷と体の傷は一生もって生きていきます。
この国は私達子供に対してこれからも酷い国でありつづけるのでしょうか?
今の日本は思いやりのない国だと思います。
**********************
引用終わり

 上で紹介した手紙を書いた生徒にとっては、組体操は恐怖の「伝統」であり、教師や学校への不信感により、「絆」は完全に崩壊していることが分かります。

 戦前の暗黒時代への回帰願望が強い安倍政権で文部科学大臣を務める馳氏はどのような返事を生徒にするのでしょうか?「現場情報の提供に感謝します。早急に対策を行います」という回答は期待できません。

 現状を変えたかったら、自分の身を守りたかったら、この生徒のように、関係者一人一人が声を上げ、行動するしかありません。黙って我慢するだけでは何も変わりません。上の人が考えて、そのうち良い方向に導いてくれることは有り得ないのです。

 失敗から学習する能力や自浄能力が無いのは、学校組織に限ったことではありません。思考停止は日本社会全体に蔓延している病気です。暗黒の戦前から、実質何も進歩していないのです。

 日本人はお任せ民主主義という無責任状態から卒業すべきだと思います。

以上

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