最初に、政治と国民の関係を言い表した名言を紹介しましょう。
「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」
(出典:「スマイルズの『自助論』エッセンス版」P17)
日本の政治状況・場面がひどいなら、それは、日本国民の民度を反映しているに過ぎません。
以下のヒドイ写真や絵は、すべて日本国民の姿そのものです。
もしかしたら、アナタ自身の本質かもしれません。
じっくりと味わいながら御覧ください。
「政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。」
「反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。」
「国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。」
「これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。」
「りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」
以上
コメント
公明党支持の友達は、戦争を志向している人は、この日本には一人も居ないはずと、信じている。
でも、この記事を読むと、戦争を志向している人は居るわ。
国家の大権としての「戦争」する能力が欲しいんだ。
自発的戦争遂行に関する文言がない日本国憲法を呪う人や、
そこにさえお参りすれはいくら死なせても(餓死や病死・戦闘で・・・)全く問題ない、の靖国神社大好きな人。
そんな様子・姿を見て、ジワッと、感じましたです。
友達は良い人で好きだけど、国家の大権としての戦争をしてみたいと言う心を隠して権力を握ろうとする人があることに、気が付いてね。