大相撲の元横綱日馬富士が平幕の貴ノ岩に暴行を振るってケガをさせた事件で、日馬富士は書類送検された。しかし、日本相撲協会は、被害者である貴ノ岩の親方である貴乃花に対し、理事の解任が適当であると決議した。決議は、2017年12月28日午前、両国国技館で開いた臨時理事会で行われた。2018年1月4日の評議員会で正式に決まる見通しだが、協会理事の解任は初めてのことだという。
相撲協会側の言い分は次の通り。
「貴乃花理事は巡業部長でありながら、秋巡業中に発生した同事件の報告義務を怠った」
「貴乃花理事の行為は理事の忠実義務に著しく反するものと言わざるを得ない」
「危機管理委員会による調査協力の要請を何度も拒否した」
「相撲は親方、弟子、部屋、協会が基本。警察に訴える前にいくらでも協会が間に入って解決できた」
貴乃花親方が相撲協会への「報告」や「協力」を拒んできたのは、相撲協会への不信感が根底にある。
2007年6月、時津風部屋に新弟子として在籍していた序ノ口力士の少年が愛知県犬山市の宿舎で集団暴行を受けて死亡した事件のことを記憶している人も多いだろう。両親の許可も取らずに遺体を火葬して証拠隠滅を図ろうとした悪質な事件だ。尊い人命が犠牲になっても、その後、相撲界の体質が改まることは無かった。狭い組織内で不祥事を隠蔽し自分たちの既得権益温存を図るのが、協会が言う「協力」であり「義務」であり「解決」なのだ。こんな集団が行う格闘技を国技と呼ばねばならない状況に、保守を自認する人たちは忸怩たる思いがあるに違いない。
自分の弟子である貴ノ岩が暴行された事件をはっきり社会的に認知させ、原因究明と再発防止を徹底することが、貴乃花理事の義務である。これは、相撲協会の義務でもある。公益財団法人として税制上の優遇措置が取られているのは、仲間内で事件を隠蔽し甘い汁を吸わせるためではない。国民目線の社会常識が問われるのは当然のことだ。
今回、貴乃花親方は自分が負っている社会的義務に忠実であろうとしたがために、反社会的集団である相撲協会と対立した。たとえ少数派であっても、自分が属する組織の浄化を目指して奮闘するのは人間として正しい姿である。その結果、理事解任決議の憂き目にあった。正しいことをした被害者側の親方が重い処分を受けることになったのだ。一方、加害者や加害者側に立つ連中が比較的軽い処分で済んでいるのは理不尽であろう。
日馬富士の暴行で被害届が出されてる事を承知していたにも関わらず、相撲協会は理事会で議題にも挙げず、日馬富士を出場させていた。この事についてはどう説明するのか?
今回の貴乃花親方解任では、政治的立場に関係なく、ほとんどの人が貴乃花擁護の発言、相撲協会非難の発言をしている。自分たちが属する狭い世界にしか目が向かず、反社会的行為を「常識」と勘違いし、目先の損得にしか興味がない相撲協会が国民から支持されることは無いだろう。視野が狭いと空気が読めなくなるものらしい。当然のことだが、今後は天皇陛下の観戦も、賜杯贈呈もやめた方がよい。
安倍政権のスキャンダルを隠すため、マスコミは連日、長時間、相撲スキャンダルを流してきた。エンターテイメントとして報道を楽しんできた人も多いと思うが、この事件は決して他人事ではない。
欠陥品・不良品の出荷を長年続けてきたメーカー。いじめ事件を隠蔽する学校。不祥事を隠蔽する官僚組織。長時間労働・サービス残業・パワハラ・セクハラなどを強要するブラック企業・・・ これらありふれた日本的組織では、改善要求を上役に行った人間は干され、排除されてしまうのが常だ。決死の思いで第三者機関へ内部告発することで問題が初めて発覚し、改善への第一歩を踏み出している。少数派でありながら勇気ある行動をする人々こそが、社会を進歩させる原動力なのだ。
貴乃花親方の理事解任決議は、進歩とは真逆の愚行である。「今後も自分たちの利権を守りたい」「人命や人権などどうでもいい」「正論を言うものは排除する」という意思表示を許してはならない。国民全員が自分自身の問題として受け止め、相撲協会に圧力をかけるべきである。
以上